歴史は勝者によってつくられる

 今号のGJ82号の記事を読んでいて、大山格の「日本戦史雑話」の記事で、あれっと思った事がありました。この記事では大山格は「歴史は勝者によってつくられる」というのを「虚妄の説」とバッサリ切っています。どうやら、何かの記事を読んで、その内容に反発しているようでした。

 でも、勝者が作った歴史というのは、いくらでも例があります。中国各王朝の記紀で自分に都合がいいように改ざんした前王朝の歴史やヨーク朝チューダー朝の各時代のリチャード三世に対する評価の違いなどを見ても明らかです。

 私は「歴史は勝者によってつくられる」というのは一面の真理があり、「虚妄の説」と全否定するものではないと思います。無論、全肯定するわけでもありません。お涙頂戴モノ的に敗者が都合がいいような事実だけを述べている例ももちろんあります。中国とか韓国とか。いや、これらは勝者側だったか・・・。

 閑話休題。なので、全否定しているのは、大山格にしてはちょっと不見識だなと思ったのでした。もしかしたら、この記事を書いた後、大山格は見直す時間がなかったのかもしれません。なんだか怒りに任せて書いたような感じですので、もう少し冷静になって見直せれば、もう少しマイルドにしたのではないかという気がします。あるいは「歴史は勝者によってつくられる」というのが安易に使われるのを諫めたかったのかも。そもそも「つくる」には「創作(無いものをあったようにする)」という意味もあれば、「再構成(あった事を都合がいいように組み替える)」、「捏造(あった事に無いものを入れ込む)」という意味もありますので。

 ちなみに、「勝者が作る歴史」については、わが祖父がシベリア抑留されたときの逸話があります。ロシア人の兵士が、各日本人に対して尋問を行っていた時のことです。ロシア側の通訳の女性がいたそうです。わが祖父はラテン語ができたので、通訳がどう通訳をしていたかわかりました。日本語で話したこととは全く関係ない、ない事ない事だけしか言っていなかったそうです。そこで、祖父は「そんなことを言っていない」とラテン語で抗議したとのことでした。まあ伝聞ですが。この女通訳、ホントは日本語ができないのに金欲しさにできるふりして適当なウソをでっちあげていたのでしょうか。これで何人の日本人が冤罪を被ったのでしょうか。私にはわかりません。が、勝者とはこんな無法もできてしまうのです。そして、この女通訳のウソが「歴史」として残ってしまうのです。