戦国群雄伝シリーズの連絡線の謎

 「新信長風雲録」のシナリオ3「志賀の陣」のプレイ前に、いろいろと考察しています。このシナリオでは、堺~京都~岐阜の間の連絡線による勝利ポイントが重要という事で、連絡線について考えてみました。実のところ、今までこのシリーズで連絡線はさほど注意していませんでした。何しろ、大抵の場合は連絡線が通っていますし。「信玄上洛」でも織田軍にとっては重要ではあるのですが、基本的に通っているものです。

 さて、連絡線が重要という事で、一応ルールを確認・・・。げげっ!短くなっている!!

 うん、そう。「信玄上洛」脳でずっと考えていました。なるほど。なんか小城が多いなと思っていたのですが、そういう事でしたか・・・。

 

 ところで連絡線は戦略移動コストで引けるのか?「信玄上洛」では、領国に限り戦略移動コストを適用できました。が、「信玄上洛」脳はリセットしなければなりません。「新信長風雲録」のルールを見ても特に書いてありません(「信玄上洛」ではルールに明記されています)。うーん。連絡線のルール11-2-3では「移動(15項参照)するときと同じように」と書かれています。なら15項を見れば、特に領国については書いてありません。では条件を満たせばどこでも設定できるのか。条件とは・・・

・地形効果(15-2-2~4)

・敵ユニットや城に隣接不可(15-3-1)

・移動開始時に本城に連絡線が通る(15-3-2)

・士気低下ユニットは不可(15-3-3)

 1つ目は特に問題なし。2つ目は制圧地域のルール(5-1-1、5-1-2)で当然不可。3つ目はそもそも本城に連絡線を通すのですから、あって当たり前。4つ目はユニットの話ではないので無視。

 上記から、基本的にどこでも戦略移動コストで連絡線を通せるような感じがします。ホント?

 

 なぜ戦略移動コストにこだわるのかといえば、京都~岐阜間の連絡線を通すために、関が原ではなく千種越え(日野城~千種城間)が使えるかどうかという問題があるためです。また、千種~岐阜への連絡線も、長島城がある限り桑名→小木江ルートを使えません。直接高須城につなげないといけないのですが、戦術移動コストですと届かない。

 千種越えと言えば、高橋幸治が川谷拓三に狙撃された所として有名で、間違いなく関が原経由ルートを通れない場合に軍勢が移動するルートとして使われています。しかし、戦術移動コスト(赤)ですと、下記の様に2移動力足りません。また千種城から高須城も同様に1移動力足りません。しかし、戦略移動コスト(青)なら問題なく連絡線が通せるのです。このため、連絡線設定に戦略移動コストが使えるかどうかは重要になります。もちろん、途中にユニットを置けば、戦術移動コストでも部隊経由で連絡線を通せます。そのために2ユニット(多分、蒲生賢秀と千種忠基)をその場所に固定配置しないといけません。部隊がもったいない。まあ、あちこち敵がいる状態ですから警備のために張り付けたという風に考えることもできますが。

 このことがルールに明記されていないのは、ちょっと片手落ちの様な気がします。「信玄上洛」では書いてあったのですから。

千種越えルート

 さて、初期配置してみて、連絡線が通るか考えてみました。思いっきり、瀬田以西と桑名以南の織田軍には通りません。いきなり第1イニングの連絡線確認フェイズで「士気-1」です(ルール11-4-1)。このほか、六角軍のうち金森城と石部城にいる部隊も通りません。後は通ります。つまり、最初から京都~岐阜間は切れています。堺~京都間は繋がっています。やばいですね。

 

 ところで、連絡線って一体何を意味しているのでしょうか?考えたのですが、これは兵糧や矢玉といった兵站ではなく、司令などのコミュニケーションラインだと思います。何故なら、味方の部隊が連絡線が立たれて飢えている(士気が下がっている)のに同盟軍が兵站を供給しないはずがないし、そもそも前近代ですから兵糧なんかは現地調達。なので、「補給線」の概念ではないと言えます。なので、戦国群雄伝における「連絡線」はコミュニケーションラインではないかと。なら、軍勢の移動よりも早いはず。なら、戦術移動コストではなく戦略移動コストで考えるのが適切。という三段論法が成り立ちそう。ルールに書いてないけど・・・。まあ、取り合えず、ルールにないので戦術移動コストでプレイすることにしました。厳しめの方が考えるのにいいですから。

 

 GJ87号の関東リプレイを読んでいて、あれ?と思ったことがあります。第1イニングの最初の織田軍の作戦フェイズで、「三箇(ヘクス1226)」にいる「柴田勝家隊5千(10ステップ)」が勝竜寺城に移動しています。これ、ありえない。

三箇から勝竜寺城

 何もない状態なら、1226→茨木城→高槻城→1423→勝竜寺城と戦術移動で8移動力です。が、前に書いた通り「士気-1」なので、移動力7になっています(15-6-3)。さらに石山本願寺(1126)に本願寺軍が敵として存在していますので、1226から出るために移動力1が必要です(15-4-3)。

 なお、このルールはちょっと疑問があります。実は、このルールでは「敵の強い制圧地域にいる部隊」の規定ですが、ルール5-2(3)により敵軍ユニットがあるヘクスには制圧地域が及ばないはずです。つまり、敵の制圧地域(面倒なのでEZOCとします)に部隊がいれば、そこはEZOCではなく、その部隊がEZOCを出る時に移動力1の消費は不要です。でもそれはおかしい。そこにいる部隊が動くのですから、常時移動力1の消費が不要になってしまいます。

 多分、この移動力消費は追撃されるのを警戒して殿を残しつつゆっくり移動することを表しているのでしょう。ならば、EZOCに味方の部隊が残っている場合は追加移動力消費が不要、全部隊が移動する場合は必要とするのがいい気がします。私は、このように、「何をシミュレートしているのか」ではなく、「何を意味しているのか」を重視します。その「意味」が適切に表現されていれば「シミュレートされている」と考えるのです。

 

 さて、リプレイでは柴田隊全軍が移動してるようです。なので、上記の考えのもとで追加1移動力が発生します。1225には味方がいますので、進入に追加1移動力は不要です。また、出る時も不要としましょう。ここで2移動力。茨木城には川越えで+1なので、4移動力。高槻城で5移動力。この2ヘクスは味方の城なのでEZOCはありません。追加移動力消費は不要です。そして、1423で7移動力。移動終了。士気-1が無くても勝竜寺城へは入れません(川越えがあるので9移動力必要)。

三箇から勝竜寺城への戦術移動

 これを見て、うーんと思ったのでした。これを書いた望月氏はテストプレイヤーとして「新信長風雲録」のデベロップに多大な貢献をした人です。そんな人が「士気」や「移動」という根幹のルールを適用しないでテストプレイをしていたとしたら、近藤氏が「十分な検証を行えた」と書いている「志賀の陣」シナリオのバランスが適正になっているのだろうか。

 

 ちなみにリプレイの写真をよく見ると柴田勝家は「1225」にいるように見えます。うーん?三箇がどこにあるかわかりませんが、単に本文の書き間違い?まあ、それでも「士気-1」を適用すれば勝竜寺城には届きませんが(川越えがあるので8移動力必要)。

 

 ま、私のプレイには関係ない。与えられた条件でプレイするのみ。「貴様は負けるために戦っているのか!」とダヴ―元帥に怒鳴られますからね。

 

(追記)

 プレイを始めたら、朝倉が連絡線を通せないことに気が付きました。敦賀~府中間が戦術移動ですと12移動力必要でした。士気-1です。まあ朝倉が士気が低いのは案外ヒストリカルかも・・・。