「新信長風雲録」の連絡線の謎

 ルールをよく読み返していたら、「新信長風雲録」の特別ルールで「比叡山」が反織田方の本城として機能することに気が付きました(ルール30-6-3)。なら朝倉軍ももしかしたら、と思って見てみましたが、やっぱり連絡線が切れていました。それは「清水山」~「海津」間なのですが、よく見ると「清水山→海津」では連絡線が通らず、「海津→清水山」では通ります。何故なら「海津」(荒地)と「清水山」(平地)の違いがあるからでした。

 何だこりゃ!

 うーん。方向によって連絡線が通ったり通らなかったりするのは無しでしょう。ダメだな、これ。ホントにちゃんと検証したのか?

 ついでに、朝倉軍について、本城の「一乗谷」に連絡線が通らないのは昨日書きましたが、毎イニング開始時の連絡線確認フェイズで士気が下がっていきますので、つまりは5イニング後には朝倉軍が消滅するという・・・。つまり、朝倉軍はさっさと越前に帰るか、「比叡山」と連絡できる所まで進出するかという事でしょうか。これは朝倉軍の戦争への意欲の低さを表していると見るべきか、ただのチョンボ(城の配置を忘れた)とみるべきか。

 で、この「比叡山」が反織田方の本城にできるというのがおかしい。本城にできるとは、つまり連絡線を比叡山に引けるという事ですが、昨日書いたように、またルール11.0の所に書いてあるように、連絡線はコミュニケーションラインです。本国に引けなければ意味がありません。つまり、このルールは連絡線の意味を解っていないという事です。こういう事こそ、私にとって「イッタイこれわナニをしみゅれーとしているのデスカ!!?」になるのです。

 多分、比叡山ルールは、史実で浅井・朝倉軍が比叡山に籠った事を表したいのでしょう。ここに籠っちゃうと織田方が湖西に布陣したら小谷へも連絡線が引けなくなり、士気が毎イニング下がって早晩自滅しますから。でもルール16-4で自城に「籠城」したら士気は下がらないとなっていますので、「比叡山は反織田方の自城として扱える」でいいと思います。何も本城にしなくても。その方が史実としても連絡線の意味としてもすっきりするでしょう。

 まあ、そんなわけで、よく調べてみるとおかしなところが結構見つかったりします。なんかねぇ。