信玄上洛の意図

 ツクダ/GJの「信玄上洛」のVASSALモジュールが公開されました。作成してくださったきゃめるさん、本当にありがとうございます。CyberBoard版もあったんですが、これ、奥平貞能のユニットが無かったんですよね。それにユニットの画素数が少なくて、文字が読みにくかった。エクセルでマップを作ってみようとしたんですが、バージョンが違うとズレが発生するという。おのれ、ビル・ゲイツ

 武田信玄は、父方のご先祖様の主君です。なので、ツクダ版は出た時にすぐ購入したのでした。ちなみに、ツクダ版の戦国群雄伝シリーズは、他に持っていません。

 ちなみに母方は浜松の人で、父と母の結婚式の折には、双方の親族間で三方ヶ原の戦いはどっちが勝ったかという論争になったそうな。

 そして、私の心の主君は上杉謙信・・・。妹に裏切者扱いされました。でも、信玄は謙信を心の中では認めていたようです。勝頼にも頼れと遺言しています。それに、信玄と謙信がおホモ達になって川中島であれこれするという、誤腐人方のマンガがあったような・・・。

 さて、ツクダ版「信玄上洛」では、長嶋一向一揆が初手で鈴鹿関ヶ原を抑えて京都ー岐阜間の連絡線を切るとか、武田勢の通過の後で家康が躑躅が崎を急襲するとか、いろいろ考えたものです。が、家康が浜松や岡崎を捨てて、行動力で士気回復しながら戦う(士気低下は1ターン1のみ)戦法は考えつきませんでした。本拠が落ちたら軍隊解散でいいのではと思いましたが。多分、浜松、岡崎が落ちた(あるいは包囲された)後で徳川軍の士気が保たれるとは思えませんし。

 まあ、それはそれとして、今後、VASSALでいろいろ楽しみが出来ました。本当にありがとうございます。きゃめるさん。

 ところで、信玄は本当に上洛する意思があったのかという論争があります。私は、当初はあったと思うのです。が、徳川軍の抵抗や上方の情勢によって諦めたんじゃないかと思います。12月末で浜松では、ちょっと上洛は難しい。

 でも、上洛した後でどうするつもりだったんだろうか。家康や信長を完膚なきまでに叩き潰すのはどう考えても無理。でも補給線の関係から長期間、京都に軍を置いておくことも無理。そう考えると、多分ですが、上洛後、あまり長い事駐屯せずに撤退するつもりだったんじゃないかと思うんです。応仁の乱なんかでも、遠国の大名は結局撤退しています。ただし、撤退時には義昭や天皇を連れて戻るつもりだったんじゃないかな(個人の感想です)。駿府なら気候的にも問題ないし。信玄の夫人は公家の三条氏だし。富士山観光などどうかとか言って連れ出したかもしれない。

 まあ、あくまで上洛出来たらどうしたかという、個人的な考えですが。