100分de名著「覇王の家」

 「覇王の家」は司馬遼太郎が1970年に書き始めた徳川家康に関する歴史小説です。ちょうど大河ドラマが「どうする家康」なので選ばれたのでしょう。解説は歴史小説家の安部龍太郎。この中で、結構示唆に富む話が出てきました。

 実のところ、電書で買ってはいたのですが未読でした。そしてちょうど読み始めたところだったのです。大体が100分de名著を見て読み始めたり、既に読んでいるものが100分de名著に取り上げられたりしていましたが、同時というのは初めてです。ネタバレ的になるかもしれませんが、まあ歴史小説なので結末は決まっています。目次も見ていますしね。

 さて番組の中でなるほどと思った事の一つは「歴史小説では、キャラクターを決めつける」という点で、これは「物語を単純にする」ためだそうです。確かに、このキャラはこういう性格だ、と決めつけておけば、小説の中でキャラが行った事に腑が落ちるというものです。例として今川氏真は暗愚、というのがありました。近年の研究ではそうでもないとされていますが、司馬遼太郎が書いていた時は、ほとんど研究が進んでいなかった時です。

 また、「司馬遼太郎の作品は、力道山の空手チョップだ」というのも、敗戦で気落ちしていた日本人を勇気付けたという点でなるほどと思ったのでした。なので、多くの人が司馬遼太郎の作品に触れた事でしょう。

 そして上記の二つが、司馬史観が正しいとして、ある人物の評価が固定化する事に繋がったんだなと感じたのです。司馬遼太郎の功罪というものです。あるいは、読み手がちゃんと理解していないといけない部分でしょうか。司馬遼太郎の時代から50年経って、歴史の研究も進んでいます。もはや司馬遼太郎の作品は古いものとなっています。この辺りをちゃんと理解した上で司馬作品と付き合う必要があると思われます。

 

 さて、「覇王の家」では、小牧・長久手の戦いでほぼ終わり。関ヶ原大坂の陣も書かれていません(らしい。まだ未読)。既に書いてあるからという理由もあるでしょうが、やはり家康の立場を決定づけたのは小牧・長久手の戦いだからだと思います。天下分け目の戦いは、関ヶ原よりも小牧・長久手だと思うのです。どこかで読んで記憶があります。

 また番組の中で、「『大軍勢の秀吉軍と少数の徳川軍に対し、アメリカ軍と日本軍に重ね合わせて、太平洋戦争でも家康の様な将軍がいれば勝てたのではないか』と司馬遼太郎が思っていたのでは」としていたのにも、ある程度なるほどなと感じました。そう思えば、確かに小牧・長久手で小説をほぼ終えたのも納得できます。

 

 今月の100分de名著は、私が大好きなシャーロック・ホームズ。まとめ視が楽しみです。