モノノフたる者の道

 四條畷のゲームを作るという事で、「楠木正行・正儀」(生駒孝臣/ミネルヴァ書房)を読んでいます。正行の所は全体の5分の1ぐらいですが・・・。

 私は通説のように正行は死を覚悟して四條畷の戦いに赴いたとは考えていません。

 この本でも、同じ考えでした。意を強くしました。さて、どうしてそう思うかと言うと。

①それまで大軍相手に常勝だった

 室町幕府の第1戦級の武将である細川顕氏山名時氏藤井寺や住吉で撃破しています。

②まだ若かった

 大軍相手に「勝てねぇや」と言った諦観とは無縁。むしろヤングパッションで猛っていたと思います。しかも実力が伴っていますから、むしろ天狗になっていたかもしれません。

 

 通説の様な滅びの美学と言ったロマンティシズムは、戦国以前は無縁だったと思うのです。そういったロマンは葉隠れ武士道に毒されたサラリーマン武士が培い、太平洋戦争に続く「散ることこそ花」みたいな思考放棄がのさばる原因になったと思うのです。

 ウォーゲーマーならわかるはずです。

 相手がベテランゲーマーの場合でも、せめて一矢報いようといろいろ考えをめぐらすのではないでしょうか。これはダメだと思考放棄して、全軍突撃(バンザイアタック)だぁと、ゲームを放り出したりしないでしょう。

 それこそまさに「戦人」。ウォーゲーマーです。

 

 また、この手のロマンティシズムは、あくまで第三者のものです。当事者はそんなロマンとは無縁だったと思うのです。これは真田幸村天王寺合戦でも同じだと思います。幸村も、勝つためにいろいろ手を尽くしたはずです。

 そうやって努力したにもかかわらず敗北した場合に潔く散るというのはありでしょう。ゲームだって勝ち筋が見えなくなったら投了すると思います。最後の1ユニットが除去されるまで粘るというのはあまりきれいとは言えません。

 

 そんなわけで、自作ゲーム「四條畷の戦い」は、正行が見ようとした勝機について考える事が出来ればなあと思っています。