以下のURLで「元寇」がダウンロードできます。文永の役と弘安の役の2in1です。
https://drive.google.com/file/d/1vOufOConAhHhEhdCzwuIk4tyDFGLSCVL/view?usp=sharing
マップとユニットです。
文永の役も弘安の役も、大体通説では神風=台風/低気圧による蒙古軍の壊滅と撤退と言われています。が、これの元となったのは「八幡愚童訓」という元寇の30年以上後に書かれた宗教パンフレットです。つまり八幡様の偉大さを愚昧なる者共に教えるというものなのです。そんな怪しげなものをベースとして歴史を作るとは、どう考えても変ですね。さらに、神国日本と言う選民思想と何かあったら神風が吹くという下らない戦略が太平洋戦争を起こし、若者を自殺攻撃に追い込んでいます。国家と人命に多大なる影響を与えた恐ろしい書物と言えるでしょう。
当時の資料としては、有名なのが竹崎季長の「蒙古襲来絵詞」です。文書だけではなく絵もあるという、さすがマンガ大国ニッポン・・・。と言うわけでもないでしょうが。ただ、あくまで自身の活躍を描こうとしているものなので、必ずしも事実のみを述べているとは限りません。まあ、「八幡愚童訓」なんぞよりもマシでしょうが。
後は貴族の日記である「勘仲記」などがありますが、基本伝聞です。また、元や高麗側の資料もさほど戦闘を詳しく書いているわけではありません。
つまり・・・よくわからない・・・。
なので、まあ自由に作れるという話です。作戦級的なものも考えたのですが、むしろ戦術級的なものの方がいいかと思って、蒙古軍の上陸と日本軍の迎撃に落ち着きました。その方が質の違いを表せるかと思ったのです。
結論としては、結構うまく表現できたかなと。蒙古側がうまく連携すると日本側武士団をを分断して狩れます。一方、日本側はある程度連携すれば蒙古側ユニットを個別に狩れます。
次は四條畷の戦いを考えています。楠木正行が少数で高師直の大軍を押しまくったが、結局は力尽きて正行は自害。とはいえ場所は大軍の展開が困難な狭隘地で足場も湿地なので、必ずしも南朝方が勝てない戦いを挑んだという通説通りだとは思えません。さてどうなりますか。