有名な鎌倉時代の「正史」である「吾妻鏡」について考察した本です。なかなか含蓄がありました。
大体が歴史書というのは、作成された国や時代に影響されるものですが、「吾妻鏡」も同様だという事を考察しています。なのに、「吾妻鏡」の記事が通説としてそのまままかり通っている事に対し、疑義を呈しています。
そもそも「吾妻鏡」の成立は、元寇後の北条貞時の政権の時でした。元寇により武士たちのアイデンティティが危機に陥り、それぞれの武士が自家の歴史を確立しているという時期で、北条氏も同様だったという事です。とはいえ、一応「正史」として通用するように、北条家のみではなく、源家から書き起こされたという事で、源家と北条家の関りなどが強調されています。
この本では、「頼朝挙兵」、「平家追討」、「奥州合戦」、「比企氏の乱」、「和田合戦」、「実朝暗殺」、「承久の乱」、「宝治合戦」を章立てして、それぞれの「吾妻鏡」の記述に基づいて、書かれた意図を考察しており、史実かどうかと言った歴史的研究は行っていません。というのも、この著者は歴史学者ではなく、文学博士号を持っている灘校の先生だそうです。
一度は「吾妻鏡」を読んでみたいと思っていましたが、まだ未読です。この本によれば、承久の乱までは面白いが、それ以後は「無味乾燥」で単に起こったことが羅列しているだけ(宝治合戦は別)とのこと。その理由についても考察していました。と、言うのも、承久の乱以後は、まだ関係者も生存しており、「正史」として書くのがはばかられる場合もあるからという事です。なら、承久の乱まで読めばいいか。
さて、「吾妻鏡」の制作意図は、基本的には北条氏の得宗体制の正当性を担保するためという事は首肯できます。大体の歴史書は権力者に阿っているものですから。とはいえ、承久の乱までの記述が面白いのは、各武家に伝わる先祖の功績の資料なども各武家から収集して取り入れているため、合戦などの記述が重層的になっているからとか。そこに、「無味乾燥」な事柄の羅列だけではない「物語」があるようです。さらに敗者の目線も取り入れられているために、より「文学性」が高まっているとか。それは確かに面白そうです。
また、北条氏に阿るための曲筆や省略なども、他の資料との比較から指摘しています。そのため、より一層「吾妻鏡」が作成されて意図が明確になっています。
こういう本は好きです。