随分前にMust Attackに投降したのに(7/30)こちらで公開するのは忘れていたようです。ボケたか?
以下のURLです。
https://drive.google.com/file/d/1v2YdX07i9mrT_xMSSnW7Y2ySdpO_kyqM/view?usp=sharing
最終マップはこんな感じです。左側が北ですね。
ユニットシートはこんな感じ。
四條畷の戦いは、楠木正行の連戦連勝に驚愕した北朝方が、尊氏、直義に次ぐNo.3高師直を総大将として送り出したものです。その経過は、師直が山崎付近に陣を張ったのに対して、南朝方は淀川下流の渡辺の渡し付近に陣を張りました。それまで北朝方は淀川下流で渡河してから天王寺、住吉、藤井寺へと向かっていたためです。なんか、大坂夏の陣で聞き覚えがある地名ばかりですが、軍を展開できる平地があったためでしょうか。それ以外は結構湿地が多かったようです。
さて、北朝方は淀川下流には向かわず、枚方あたりで淀川を渡って、東高野街道沿いに進撃したようです。そして飯盛城を攻略し左翼の安全を確保して野崎付近に陣を張りました。この付近は西側に深野池があり、地盤は湿地です。あまり大軍が陣を張る位置としては不適切です。しかし、これは罠です。大軍の展開が難しい狭隘地で、かつ湿地ですので小勢の南朝方が有利な地形です。
南朝方は従来通りの淀川下流から摂津、北河内(大阪中部)での戦闘と思っていた所に、北朝方は東高野街道沿いに南下し、楠木の本拠地である東条(赤坂)へ向かおうとしたのですから慌てます。急いで南下し、深野池の南を回って東高野街道を北上して北朝方に対峙します。ゲームはここから始まります。
多分、高師直は狭隘地に誘い込んでから北へ後退するとともに、飯盛城から尾根沿いに南朝方の後方に出て包囲殲滅しようとしたのだと思われます。最初からここが決戦場だとわかっていれば南朝方も飯盛城を確実に確保するでしょうし、そうなれば飯盛城から北朝方の左翼に攻撃できます。従来の戦いの推移のとらわれ、それができなかったのは、楠木正行の経験値の低さだったという事でしょうか。あるいは高師直の経験値の高さという事でしょうか。罠だといったのはこれです。
ところで、NHK大河「太平記」の四條畷の戦いを見ていたら、ちゃんと深野池が遠景に見えていました。手前側は湿地というよりは草地っぽいですが、正月に行われた戦いとしては青々としている気がします。ロケの都合でしょう。それと、正行の最後は柵の後ろから矢を射かけている北朝方に向かって突撃していました。柵があるという事は北朝方はそこを防衛線としていたという事です。混乱して後退したなら柵を作っている暇はないでしょうから。そう考えると、考証担当者はちゃんと北朝方の戦術を理解していたのではないかと思います。