富野は評価しない

 昨日は麻枝准より虚淵玄を評価すると書きましたが、今日は麻枝准より評価しない人の話です。私は富野由悠季を評価しません。昔は富野を神の如く思って、批判に猛烈に反発する人がいました。今でもいるのかな。富野は「機動戦士ガンダム」の総監督なので有名になりました。しかし、彼の他の作品を見るとあまりにひどい感じがします。
 まず、人物描写がおかしいです。「OVERMANキングゲイナー」も「Gのレコンギスタ」も、「なんでそんなことするの?」と言った行動を取る人が多い。「Gのレコンギスタ」で主人公の母親が高官の地位を捨てて息子を追いかけるあたり、「やらんだろ、それ」とか思ってしまいます。私が好きな「∀ガンダム」でもおかしな行動をする人が結構いました。思えらく、富野は人間と言うものがわかっていないのでしょう。
 また、人間がわかっていないという点についてにも関係がありますが、富野は「人の死」でしかドラマを描けないのでしょう。大体最終回に近くなると「人の死」が増えます。「人の行動」によって感動を与えることができないので、「人の死」によって物語を盛り上げようとしているのです。でもそれには限界があります。「機動戦士Zガンダム」について富野自身も「失敗作」と言っていますが、最後は主人公を廃人にしなくては収まりが着けられなかったのです。「皆殺しの富野」と言われる所以です。
 そして、人の能力や兵器がインフレを起こすことです。バトルモノでは主人公が自分より強いライバルに負けて、修行して勝つといったことはよくあります。富野も同じようにするのですが、それがインフレを起こしているのです。このため、ついには強大になりすぎた主人公の力を収束させることができず、物語世界を崩壊させます。「伝説巨人イデオン」や「オーラ―バトラー戦記」では、登場人物全てが世界の崩壊に従って死んでいます。これまた「皆殺しの富野」と言われる所以です。
 「機動戦士ガンダム」では、周りのスタッフがうまく軌道修正していたのでしょう。それにア・バオア・クーの所で打ち切りになったのが幸いしたと思います。何しろ富野の小説版ガンダムではアムロは死にますから。一方、「機動戦士Zガンダム」では、周りに富野を抑える良いスタッフがいなかったのでしょう。こういった欠点を見ると、麻枝の甘い設定は随分軽い問題に見えます。