裁かれた人々

 『「太平洋の巨鷲」山本五十六』(大木毅)を読んでいます。現在、三国同盟締結の所まで来ています。約半分ですね。
 さて、この部分を読んでいて、ふと思ったのです。
 東京裁判に反対する人たちって、「誰が裁いたか」を問題にしているだけで、「誰が裁かれたか」については全く問題にしていないな。いろいろと読んでいますが、単に勝者の連合国に裁かれたのが気に入らないだけのようです。
 そこで思ったのです。「裁かれた人々」を日本国民が裁いたとしたら、どんな判決にしただろうか、と。この「裁かれた人々」は、陸軍や海軍内部で派閥闘争に明け暮れ、見た目は勝っているドイツの尻馬に乗って「バスに乗り遅れるな」と三国同盟に邁進し、それが国際的にどう見られるかも考えもせず仏印や蘭印に武力侵入し、結果として何百万の日本国民が死亡するような戦争に突き進んでいます。多分、日本国民が裁くとしても極刑になったことでしょう。元兵士の証言でも「参謀本部の連中は!」と憤っているものを耳にしたことがあります。下っ端国民は、戦争を指導した連中を許しはしないでしょう。特に戦争直後は。
 なら、当時主権を持っていなかった日本国民に代わって連合国が裁いたと見ることもできます。
 要は、現象に対する視点のあり方の違いなんですね。そう考えると反東京裁判を叫ぶ連中の言うことは、話半分ぐらいに聞いておけばいいという気がします。