原理・原則より本質の方が大事

 今日ニュースを見ていたら、2人の女性を強姦、2人を強姦のうえ殺害、1人を強姦目的で誘拐未遂という男の裁判をやっていました。このうち、1人の強姦殺人以外の4件の裁判は終わっていて、無期懲役が確定しています。残りの1件が今回裁判で争われていました。

 このニュースで問題にしていたのは、今回の裁判は1件の犯罪のみを裁くものという事です。憲法では同じ犯罪を2度裁いてはいけないと書かれています。なので、既に無期懲役が確定している4件は量刑に考慮してはいけないそうです。

 例えば、3人殺すと死刑だそうですが(昔は2人だったような・・・)、1人殺して服役して出所して、また1人殺して服役・出所、さらに1人殺したとしても、個別の案件なので、全部死刑判決が出ないという事です。

 ニュースキャスターは、一般人の感覚としてそれはおかしいのではと言い、コメンテーターの弁護士は、それは憲法で保障されている犯罪者の人権を守ることだと言っています。どうやらこの番組では、法曹界が一般人の感覚と遊離していると言いたいらしい。

 しかし、これを聞いていてアホらしい事を言っているなと思ったのでした。

 今回、たとえ1件の裁判だとしても、前科という考え方があります。3件もの強姦殺人それと1件の未遂の前科があれば、極刑は免れないでしょう。しかも、この男は警察署から逃げていたり、今回の裁判も無罪を主張したりしていて、全く反省している様子がありません。先の3人殺しの例でも、やはり最終的には、前科を見て死刑判決が出るのではないかと思います。

 これらは、結局、憲法という原理、原則ばかりに目を向けていて、犯罪の本質を見ていないという事だと思います。どうも、弁護士とかは、原理、原則(つまり法律と前例)ばかり気にしていて、その犯人が更生できるか、再犯しないかという社会にとって本質的なことを見ていない気がします。

 私が宗教的な原理主義者が嫌いなのも、こういった点についてなのかもしれません。まあ、宗教的に限らず原理主義者は嫌いですが。何故って、思考に柔軟性がないから。

 

 ちなみに、夕方のニュースでは、この男が再度無期懲役の判決を受けていました。世も末だ。