読み終わりました。興福寺の門主経覚と尋尊が残した日記を主として、この二人の動向を追いつつ応仁の乱の前後の状況を含めて書かれています。
応仁の乱と言えば、日野富子と山名宗全vs足利義視と細川勝元みたいな感じで教科書に書かれていますが、実際はもっと奥が深いようです。日野富子が足利義視の将軍就任を妨害したのが始まりのように聞いていますが、実際には当初は義尚への中継ぎとして承認していたようです。義視の奥方は富子の妹ですし。また、山名宗全と細川勝元も、元々仲が良かった。勝元の奥方は宗全の娘ですし。
しかし読んでいると、結局原因は足利義政の朝令暮改ぶりが問題だなあとあらためて思いました。大名を追放したと思ったら、追放した方を許して家督相続を認めたり。そりゃ将軍の権威が低下するわけです。
また、大和の国人(衆徒・国民と呼ばれる興福寺に奉仕する人々)にも古市胤栄という面白い人がいて、日本初(あるいは世界初か)の有料ダンスホールを作ったりしています。そんな感じで大和の国人たちの動向も詳しく書かれています。元々大和には守護が置かれていず、国人たちは興福寺などの寺領を管理している人々でしたが、それらが互いに争い合って、これまた東軍や西軍に付いて戦っていたという。
それと、後南朝の皇子を西軍が天皇として立てていたりしたのは初めて知りました。ただ名前が残っていないようですので、本物だったのかどうか。それにその後についても書かれていませんでした。どうなったんだろうか。
全体の筆致としては、戦後の左翼系の評価(階級闘争だとか)を批判しており、より実態に近い乱の全体像を知ることができました。ただ、やっぱ似たような名前の人が沢山出てきて、わかりにくい・・・。人気が出にくいわけです。