アレクサンドロスはアムロ・レイに似ている(安彦良和)

 私は、アレクサンドロス大王が大好きです。アレクサンドロスとみると、脊椎反射で買ってしまいます。そんなわけで、書籍やゲームなど結構持っています。今回は少しご紹介します。

 

 オリバー・ストーン監督のアレキサンダー(2005)が公開されるまでは、アニメアレキサンダー戦記』(1999)が私の持つ唯一の映像作品でした。これは史実通りというよりはアレクサンドロス・ロマンスという感じのものでした。アレクサンドロス・ロマンスというのは、いわば空想的な伝説や伝承などを集めたものです。潜水艦に乗ったりなんかしています。アレクサンドロス大王の研究家であるヒュー・ボーデン氏も好きな作品と書いていますね。この『アレクサンダー戦記』は、アニメよりはノベライズした作品の方が面白かった。アニメではあまり出てこないピタゴラス教団と正多面体の話が詳しく出ていましたので。これがあるから、アニメの最後にエウクレイデス(ユークリッド)がちょっと出てくるのに意味があることがわかります。

 ちなみにピタゴラス教団とは、あの有名なピタゴラス先生を始祖とする数学好きの集まりで、「世界は整数ですべて説明ができる」としています。確かに正三角形を二つに割った直角三角形は辺の長さが3:4:5で整数ですが、実はもっときれいな図形であるに直角二等辺三角形は1:1:√2で整数では割り切れません。これが教団の門外不出の秘儀となって、それを知ったものを暗殺するというのは別の小説です。

 『アレクサンダー戦記』には原作小説があります。『幻想皇帝』というのですが、こちらはルイス・フロイス織田信長に謁見したときにアレクサンドロスの生まれ変わりか」と思うところから始まります。どちらの小説も荒俣宏大先生が書かれています。

 また『アレクサンダー戦記』はPCゲームにもなっています。これも持っている。

 ついでにゲームの話です。ゲームはほぼウォーゲームですが、結構多くあります。特に好きなのは『The Great Battle of Alexander』(GMT)ですが、初版なのでルールが少し異なります。そこで、GMTのサイトから最新版を落として和訳しています。でも、後継者戦争の4シナリオは入っていないんですよね。GMTの500個集まったら再販するプロジェクトP500で細々と募集しているのですが、あまり増えていません。いつかは500本に達するでしょうか。

 アレクサンドロスのゲームには、戦術色の強いゲームと、東征全体を扱うゲームに分かれているようです。作戦級に当たるようなものはあまり見かけません。戦術色の強いものとしては、先ほどの『The Great Battle of Alexander』の外、『アレクサンダーズ・トライアンフがありますね。戦略級ではThe Conquerors Alexander the Great』アレクサンドロスの遺産』『Field Commander Alexander』などがあります。『Field Commander Alexander』は戦役をシナリオのように重ねていきますが、作戦級と言われると微妙な気がします。この辺りは個人の感想です。この他、支配地を統治する『Alexander The Great』(PHALANX)とか『Alexandros』(Winning Moves)とかあります。

 ゲームで持っていないものとしては、アバロンヒルの『Alexander the Great』と『バトルライン』でしょうか。『バトルライン』はタクテクス誌で紹介された時から知ってはいましたが、アレクサンドロスの名前が載っていないのとゲーム的すぎるのでスルーしていました。まさか今日まで長く売られるとは思わなかった。

 書籍では小説とか研究書とかいろいろありますが、『王宮炎上』(森谷公俊 吉川弘文館)のような研究書が私は大好物です。最近ではアレクサンドロス大王(ヒュー・ボーデン 佐藤昇訳 刀水書房)がわかりやすくまとまっています。

 そしてマンガでは最近話題に上がっているヒストリエ岩明均)。夢中です。ただ、三浦建太郎先生がお亡くなりになったように、未完のまま終わることがないよう、体には注意してもらいたいものです。

 そういえば忘れていましたが、今テレビドラマ『ポロス』をやっています。インドのポロス大王の話ですが、アレクサンドロスも出てきます。相当な悪役です。ポロスは負けるので、どんな風にヒュダスペス河畔の戦いを描くのか気になります。

 さて、最後に、今回最も言いたかったタイトルの言葉。安彦良和大先生のアレクサンドロスです。タイトルの言葉はNHKスペシャル版の帯に書かれていたもので、完全版、電子書籍版も購入してしまいました。安彦大先生は『イエス』や『ジャンヌ』といった歴史上の人物の漫画も描かれていますが、これらは個人を描いたものではありませんでした。今回の『アレクサンドロス』もアレクサンドロスを追いつつ、語り部アレクサンドロスの友人にして将軍の一人リュシマコスです。後継者戦争の最後まで残って、最後の戦いコリュペディオンでセレウコスに敗死します。この時の最後の言葉が、もっとも私に刺さりました。それは常々考えてきたことと同じだったからです。

 リュシマコスアレクサンドロスの死後の争いを簡単に述べた後、「誰があの偉大な人の後を継げるというのか」と言います。しかし、続けて「だが、あの人は神ではなかった。人間だ。たとえ半分といえども神なんかではなかった。」と言うのです(この辺りのセリフは少し変えています)。こここそが、私が常々思っていたことに合致します。

 私は、「人間にはアレクサンドロスの種も、ヒトラーの種も持っていることを自覚すべきだ。そしてアレクサンドロスの種を芽吹かせ、ヒトラーの種は芽吹かせないようにしないとならない」と思っています。ですので、ドイツのナチスヒトラー関係のことはタブーというのは間違っていると思います。ヒトラーをわれわれ人間とは異なる悪魔だと決めつけた時、自分の中にあるヒトラーの種を否定することになります。そうすると、またいずれヒトラーが生まれてくるでしょうアレクサンドロスを神、ヒトラーを悪魔といった風にレッテルを張ってはいけないと思います。どちらも我々と同じ人間なのです。

 私は、アムロ・レイも「よい青年」であったと思います。けして神などではなく。ニュータイプの概念が、Z、ZZと行くにしたがって超能力者になっていったのを見るにつけ(あとビーム兵器がインフレを起こしているのを見るにつけ)、なんか破綻しつつあるなぁと思っていました。富野監督のジェノサイドが、人や兵器のインフレが原因なのは自明の理です。幸い、ユニコーンで原点回帰してくれましたので良かったですが。

 そんな思いで、今回のタイトルの言葉をかみしめたのでした。安彦先生がこんな思いでこのタイトルのようなことを書いたのかどうかはわかりません。あくまで、私の想像です。