ウラル爆撃機(The Ural Bomber)

 今号のWORLD at WAR誌の付録ゲームは、Campaigns in Europeシリーズの第1作目という事で、つい買ってしまいました。このシリーズはWar in Europeのリメイクみたいなもので、この後3号がこのシリーズのゲームが付くようです。4号分でヨーロッパ大陸全域が含まれるようです。北アフリカ、イギリス、ノルウェーとかは別にゲームが作られるのか、エキスパンションとかになるのかはわかりません。

 さて、今号のWaW誌の特集記事4つは、付録ゲームに合わせた北方軍集団モノ、マッカーサーの幕僚ジョージ・ケニー、トーチ作戦、それとウラル爆撃機です。トーチ作戦については、そういえばあまりよく知りません。ノルマンディとかと違って、精強なドイツ軍が迎撃したわけでもなく、あまり話題性がないせいでしょうか。大体「トーチ作戦により北アフリカに上陸した連合軍が、チュニジアに進撃した」と言った感じで、スルーされることが多い気がします。今号の記事では、上陸から内陸への侵攻を詳しく扱っているようです(未読)。

 さて、「ウラル爆撃機」です。ちょうど、少し前に書いた「モルトケからシュリーフェンへ」の最終章が黎明期のドイツ空軍なので、何とぴったりなタイミング、と思ったのでした。ウラル爆撃機構想はヴァルター・ヴェーファーが進めたものです。ヴェーファーのドイツ空軍構想は、第一にドイツ防衛圏の制空権の取得がありますが、次いで敵の要塞や部隊の制圧があります。ただし、この制圧は直接支援ではなく後方兵站への負荷を目的としたものです。ヴェーファーは「爆撃機こそ主力」という思想であり、敵後方への爆撃に4発以上の重爆撃機を用いようと開発を進めさせました。ただしドゥーエの様な「戦略爆撃で敵を降伏させられる」というほどの爆撃機万能主義ではなかったようです。

 ヴェーファーは1936年に事故死してしまいます。このため、ミルヒよりも知名度がありませんが、能力的には上だったようです。ヴェーファーの死後、ケッセルリンクやウーデットが空軍を率いることになりますが、陸軍との力関係で負けて、結局陸軍を直接支援する戦術空軍になったのは周知のとおり。そして、空軍は独自の作戦を行う事もなく、行ってもバトル・オブ・ブリテンのように負けました。ヴェーファーが生きていれば、もう少しまともな戦略空軍を作っていたかもしれませんが、多分ヒトラーの横やりでダメだったかも。ドイツ海軍のように。