「少女たちの魔女狩り」(マリオン・L・スターキー、市場泰男訳)

 タイトルを見てすぐに、セーラムの冤罪事件の本かぁ、と思ったのでした。この事件は、概略知ってはいましたが詳細を知らなかったので、早速買って読んでみました。

 1692年、アメリカ北東部のマサチューセッツ州セーラム村で起こった、逮捕者150名以上、絞首刑者20名の魔女裁判事件です。発端は、集団ヒステリーにかかった少女たちが、「あの人は魔女だ」と言った言葉を真に受けた人々が、次々に魔女としていろんな人々(魔女っぽい人だけではなく、信心深い人も、女も男も)を逮捕したもので、セーラム村以外にも飛び火しました。最終的に、「自分は魔女ではない」と信念を押し通した人が処刑されました。

 

 さて、この本を読んでみるといくつかにキーワードが思い浮かびます。

 その一つは「連鎖」。魔女だと指摘され、「自分は魔女である」と「自白」した人が、「あの人に強制されて魔女になった」と言い逃れをしたのです。そうすると、指摘された人が魔女として逮捕されました。かくして、次々と連鎖的に魔女が「発見」されていったのです。なんというか、まるで「赤軍大粛清」で見たような話です。あれも容疑者を拷問して「自白」に追い込み、そこでさらなる容疑者を(意図的に、あるいは意図せず)作り出していったのでした。

 さらに一つ。「人間関係」。時代はまだアメリカ開拓時代で、村の人間関係は必ずしも良好ではなく、結構諍いがあったようです(土地争いとか)。このため、先の「自白」の時に出す名前が、よく思っていない人だったりします。こうした諍いの網の目が次々と逮捕者を出した原因になっているようです。

 そして「立派な人」。魔女裁判の判事長は、この地域の副総督でした。ちなみに総督は武闘派でして、形而上(魔女事件)は副総督に押し付け、自分は形而下(カナダ人やネイティブアメリカンの襲撃)の方に掛かりっきりになっていました。こうした「立派な人」が魔女なんかに騙されるはずがない、という民衆の思い込みが事件を大きくしたのです。この「立派な人」こそ、魔女裁判を強力に推進したのでした。

 

 こういった「立派な人」は冤罪事件を起こしやすいです。私はいくつもの冤罪事件の本を読んでいますが、冤罪を起こす人にパターンがあります。

 まず、「正義感が強い人」です。民衆も馬鹿じゃないので、私利私欲で動く人の言う事をそれほど信じたりしません。本人が「魔女から国を守る」とか「犯罪者から国民を守る」という正義感を強く持っているからこそ、その人が言う事を鵜呑みにしてしまうのです。こういった「正義感が強い人」は「犯罪者死すべし」とか言ったりしますのでよくわかります。

 次に「成功体験」。単に正義感が強い人なら、警官の中にだって沢山います。が、例えば「犯罪者を検挙した」とか「(冤罪だとしても)魔女を見つけた」とか「(起こったかどうかわからないが)事件を未然に防いだ」とかいう「成功体験」がある人は、冤罪を起こしやすいです。

 そして「自分に対する絶対的な自信」がある人。特に「成功体験」により、対犯罪手法に自信を持った人は冤罪を起こしやすくなります。「成功体験」があるので、同じ手法で犯罪者や魔女を捕まえることができると疑わなくなるのです。ウォーゲーマーならよく知っているように、奇襲は1回しか通じないというような感覚がないんですね。

 

 私はどちらかと言えば「正義感が強い」方だと思っています。罰ではなく抑止力としての死刑賛成派です。「成功体験」はないですね。とはいえ、推理ゲームとかでは結構犯罪者を見つけていますが。「自分に対する絶対的な自信」。これはありません。常に自分を懐疑しています。というのも、私はプログラムを作るからです。何度か書いていますが、コンピュータは書いたプログラム通りに動きます。意図していない動きをするなら99%自分が悪い。こういった時は常に自分を疑わないといけません。コンピュータを疑う人はプログラマになれません。

 なので、多分ですが私は冤罪を起こすことはないでしょう。そんな立場にもならないでしょうけれど。

 上記のような冤罪を起こしやすい人に対して、「それ、本当に正しい?別の考え方はできない?」と言っても無駄です。「成功体験」に惑わされている人には何を言っても聞きません。セーラムの事件でも、疑義を呈した人はいましたが、相手にされていませんでした。

 

 さて、セーラム村では、どうやって魔女認定されたのでしょうか。読んでみると、ヒステリー少女たちが、「あそこに誰々の生霊がいる」とか、のたうち回って「誰々の生霊に襲われている」とか言ったのを真に受けていました。「生霊」!平安時代か!そんなのアリバイ(不在証明)は無理です。牢屋に入れられていても「生霊」を送ることは可能です。死刑にするまでは。副総督がそれを真に受けているんですよ。ひど過ぎです。神学者の中には「生霊」をあまり重視してはいけないと警告(命令ではなく)していましたが、上記の様に「自分に絶対の自信」がある人には全く聞き入れられませんでした。

 もう一つ「接触テスト」というのがあります。のたうち回って苦しんでいる少女たちに魔女が振れると、悪霊が魔女の方に戻って少女は回復するという魔女発見方法です。

 

 さあ、もうお判りでしょう。これらは「少女たち」が意図的にできるものです。というか、他の人は全く「見えない」し「感じられない」のです。これらの少女たちは、「魔女を探せる」グループとして連帯していました。別々に尋問すればよかったのにね。個人的に、躾のなっていない子供のお遊びのような事で、無実の人が死刑にされるのを見ると胸糞が悪くなります。

 この少女たちが、事件後どうなったかは、この本にあまり触れられていません。二人は娼婦に身を落としたらしいです。もっとも主導的だったアン・パトナムは14年後に告解をしています。最初に始めたアビゲイル・ウィリアムズについては全く記載がありません。ちなみにアビゲイル・ウィリアムズはFate/GrandOrderに英霊として出てきます。英霊と言っても英雄とは違いますのでお間違えなきよう。このアビゲイルの宝具は鍵穴からクトゥルフ的な何かが出てくるものでした。

 

 思春期の少女のヒステリーなんてものは、どこでもあるものです。もし最初にこれを取り上げなければ悲劇は起きなかったことでしょう。実際、ある村では、これら少女がのたうち回っているのを知らんぷりしていたら、そのまま何事も起きませんでした。また、ある町では少女に魔女だと指摘された人が「名誉棄損で1千ポンドの賠償を請求する」と言ったら、いつの間にかうやむやになっていました。

 もうちょっと、自分や立派な人やかわいい女の子を「疑う」という事をした方がいいと思います。