基準の違い

 GJ誌を読んでいて、ヤマダさんの「ピンゾロを出すか出さないの二者択一なんでしょう?だったら出せばいいんですよ。」という言葉にすごいなと思いました。そして、何故か「古典部」シリーズの「愚者のエンドロール」の「別にいいじゃない 鍵ぐらい」というセリフを思い出したのです。
 なんで関連付けたのかなと考えてみました。
 「愚者のエンドロール」の中で、「ミステリ」の定義について書かれています。通常は「推理物」を「ミステリ」と言いますが、「ホラー」なんかも含めて「ミステリ」とする場合も多くあります。作品中では、本屋で「夏のミステリフェア」の棚を見て見ればいい、と言われている通り、「ホラー」、「怪奇」、「伝奇」なども「ミステリ」の中に含まれていたりします。
 そもそも、「ミステリ」とは「謎」のことで、この「謎」を解こうとする場合が「推理物」、「謎」が「謎」のままにしている場合が、その他の「ホラー」などを含む広義の「ミステリ」になるんだと思います。つまり、依って立つ基準が違うんですね。
 「別にいいじゃない 鍵ぐらい」というセリフは、鍵がかかっている密室での事件に対して、「ホラー」をベースにした場合に鍵がかかっていようがかかってなかろうが、超自然現象(亡霊とか)が壁抜けしたという意味で使われています。主人公たちが「推理物」として考えていた密室トリックが、こうも簡単に解かれてしまったのでした。
 転じて、ヤマダさんについても、やっぱり依って立つ基準が違うんでしょう。普通の人たちはダイスの出目の「確率」を基準に考えていますが、ヤマダさんは「ピンゾロ」が出るかどうかの基準で攻撃するかしないかを判断しています。例えピンゾロが出なくても、ああ出なかったな、で済んだんでしょう。出しちゃうところがヤマダさんでしょうけれど。もっともヤマダさんとは言え、数多くのピンゾロが出なかったケースもあったのかもしれませんが(確率的に言って35倍ぐらい)。
 そう、立ち位置(基準)を変えてしまえば、ただ思い切りよくダイスを振るだけでいいんです。確率なんて後から付いてくる。

 

 などと、いろいろ書いていますが、結局は関連性を後付けで考えたことです。摩耶花が言った言葉「何でも理由はつくものなのね」が真理だ。