信仰の対価は金銭

 今日、昼のニュース番組を見ていたら、今週末に台風になりそうな熱帯低気圧について、昨日のニュースでは「台風になりません」と言っていた気象予報士の人が、延々と説明していた。端的に言えば、言い訳していた。それがちょっと面白かった。

 気象庁の発表文でも「台風になる」という言葉はなかったようで、それに引きずられた感じでした。それにしても思ったのです。気象庁の発表に基づいた予報しかしないなら、気象予報士って何なんだろうか、と。お天気に詳しいだけの人?自分で予報はしないなら、意味ない資格なのでは?

 昔思った事があります。局所的天気なら漁師さんとかに聞いた方がよほど正確なのではないだろうか。そして、それを集めて全国の天気にすれば確率が上がるのでは、と。

 

 統一教会(私から見れば名前を変えても同じなので『旧』とかつけない)が、今後過度の寄付を信者に求めない、と発表していました。つまり今までやっていたんだな。そもそも、信仰に金銭の対価を求めるのは、もはや宗教ではなく商売だと思います。で、金銭的対価を求めない宗教はないので、この世に宗教はないのではないかと思います。なんか「墓仕舞い」するにも、お寺に数十万円払う必要があるようです。思いの分だけ、とか言いますが、10円とかではお坊さんもムッとするでしょう。

 宗教でも、初期の場合は金銭よりも信者の肉体(例えば修行とか)を求めるものが多いのではないかという気もします。となると、むしろ新興宗教の方が、金銭を求めない分、本当の宗教に近いのでは?

 

 「The U.S. Civil War」(GMT)をプレイ始めました。昔買って、そのままにしていたのですが、そろそろプレイしなくてはと思ったのです。何故そのままにしていたかというと・・・何をやっていいかわからない。戦略級のあるあるでしょうが、特に南北戦争1861年シナリオは、当時の首脳部も何をやればいいかわかっていなかったのでなおさらです。これが第二次大戦の欧州なら最初はポーランド戦、とかわかりやすいんですが。南北戦争だと最初は第一次ブルラン。北軍はもとより南軍も攻撃側になると不利です。そんなわけで、トランスミシシッピーとかでお茶を濁す北軍・・・。先は長い。