今年も残すところ、後11ヵ月となりました。
という、三遊亭小遊三師匠のネタを、昨日やるのを忘れました。石原慎太郎死す、がちょっと大きかったので。
さて、前に「ビクトリーインノルマンディ」でCPについての疑問を述べましたが、今回は「Onslaught」における主導権についてです。連合軍とドイツ軍が1D6振って、大きい出目の方が主導権を取り、1ユニット/スタックずつ移動か戦闘を行いますが、同じ出目ですとターンが終わります。こういう感じのルールがあるゲームもいくつか見られます。
前のプレイでは、第2ターンと第4ターンの最初の主導権争いで同じ目が出て、即ターンが終わりました。この主導権争いの前に連合軍が1回移動か戦闘できますし、アクションフェイズが終わった後もドイツ軍の戦略移動フェイズがありますので、1ターン丸々何も起こらないわけではありません。が、アクションフェイズが即終了することで、実際に動けるユニットが1つに限定されてしまう(連合軍)のも事実です。
で、これ、いったい何をシミュレートしているのですか?ということです。
プレイに緊張感を与えるために導入したのでしょうが、「何をシミュレートしているか」という観点から立つとどうしても理由付けができません。CPの時は無理やり「伝令」とか理由をつけてみたのですが・・・。神が地上に降りてきて、「戦いをやめよ」とでも言ったというのでしょうか。確率1/6で降臨する神・・・。「Onslaught」は1ターン半月ですので、半月の間、両軍ともほぼ何もしていない。やはり理由が付きませんね。補給を蓄積していた?うーん、苦しい・・・。プレイ中1回だけなら、「嵐のターン」とかいう事もできそうですが・・・。
こういったルールは不要だと思います。確かにインパクトがあり、プレイのアクセントとなるのでしょうが、「シミュレーション」としては正しくありません。まあ「ゲーム(お遊び)」というならありでしょうけど。
「シミュレーションゲーム」を作るなら、そのルールが「何を表現したいか」ということを考えないといけないと思います。鈴木大佐のデザイナーズノートを読んでみると、「〇〇を表現したいから、〇〇のルールを入れた」という風に書かれており、きっちりとシミュレートについて考えています。昔と異なり、最近のゲームでは、ゲームのインパクトを重視して、そんな風に考えなくなっているものも見られる気がします。デザインの思想が継承されていないのは、暗黒時代があったせいかもしれませんね。
そんなわけで、「ビクトリーインノルマンディ」と「Onslaught」は「ちょっとなぁゲーム」に成り下がってしまったのでした。やりたいゲームが減っていきます。私が気にし過ぎなのかもしれませんが、性分なもので致し方がない。
そんな中、ASLはきっちりし過ぎるほどきっちりとシミュレートしているので、疑問の湧きようがありません。ルールを読んでも「それはそうだよな」と納得できます。ただし、覚えられませんが。