勝ちとか負けとか

 小田急線の列車内で10人が重軽傷になる通り魔事件がありました。犯人は犯行理由について、「勝ち組」の「幸せそうな」「女性」を殺そうと思ったとか言っているようです。まあ、身勝手な言い分です。

 犯人の顔を見る限り、私よりずっと女性にもてそうな気がするのですが、6年前の30歳の時にひどい振られ方でもしたのでしょうか。「くそみたいな人生」とか言っているようですが、私よりはましな気がします。まあ、若いからモノの道理がわかっていないのでしょう。

 ところで、「勝ち組」とか「負け組」とかがいつの間にか人口に膾炙されるようになりました。多分、マスコミが広めたのでしょう。そう考えると、この事件はマスコミによる人災と言えます。では勝ちとか負けとかって、いったい何でしょうか。

 辻政信が「戦争は負けと思ったら負けなのだ」と言ったそうですが、ある一面で真理を突いています。勝ったとか負けたとかは、結局自分で判断するものです。ウォーゲームに勝利条件があるのは、主観的な勝敗を客観的な勝敗にするための指針が必要だからです。そうでなければ(あるいはそうであっても)、絶対負けたと認めない人は出てくるでしょう。あまり害はないですが。

 この犯人は、本来主観的である「勝ち組」の定義を、相手の女性に勝手に押し付けています。ここが大きな間違い。この女性は本当に「勝ち組」だったのでしょうか。20歳ということですから、多分まだ勝ち負けが決まっているわけではないと思います(本人にとって)。しかし犯人は勝ち組だと自分の主観で相手を見て、切りつけました。ここのところが許されないことだと思います。そして、そういった「勝ち組、負け組」の定義を広めたのがマスコミです。勝ち負けは主観であり、他人に押し付けるものではないということを、全く説明もせずに。

 それゆえマスコミによる人災と言ったのです。

 さて、人死にが出ませんでしたので、多分犯人は懲役刑でしょう。いずれ社会に出てきます。その時、勝ち負けは自分に対する主観であることを悟って出てくるでしょうか。もしそうならなかったなら、多分再犯するでしょう。