夢一夜

 こんな夢を見た・・・

 

 友達の家に10人ぐらい集まって、パーティーを開いた。私の誕生パーティーだったようだ。そこで、花いちもんめを始めた。家の中で花いちもんめというあたりが夢と言える。ジャンケンで二手に分かれるのだが、三人と残りに分かれた。三人の方は負け組だった。その中に私もいた。私を真ん中に手をつないで「勝って嬉しい花いちもんめ」「負けて悔しい花いちもんめ」と始めた。隣の人が勝負に出て負けた。その人は相手の組に入った。そして、また「勝って嬉しい花いちもんめ」「負けて悔しい花いちもんめ」。隣の人が勝負に出て負けた。その人は相手の組に入った。残りは私一人だった。「初めて花いちもんめで勝負が付くのを見るかも」と皆が言っていた。私が負ければそうなる。そして、そこには勝ち組だけが残り、相手はいないはずだった。

 

 この辺で目が覚めたのですが、ボケっとした頭で続きを考えていました。

 

 「だが、花いちもんめは終わらなかった・・・。私は確かに勝負に負けて勝ち組に入ったはずなのに、花いちもんめは続いた・・・『勝って嬉しい花いちもんめ』。そうこちらが言うと、どこからともなく暗く低い声で『負けてぇ悔しいぃ花いちもんめぇぇぇ』。永遠に終わらない花いちもんめ・・・」

 

 何の怪談だ。

On To Richmond IIがプレオーダー開始

 東京の新型コロナ新規感染者は減ってはいるようですが、数値が正しいかどうか微妙です。韓国は全数カウントしており、アメリカとフランスは部分的。イギリスは全然データを取っていないとか。お国柄でしょうか。韓国はITが発展しているので、いちいちお医者さんや保健所がデータを手入力しなくてもいいらしいです。やっぱり日本はデジタル後進国j太平洋戦争の技術軽視から何も変わっていません。

 

 私はソニー派なので、シャープの街には興味ありません。などと思っていましたが、なんだかんだと言いつつ、Here Come the Rebel!のシナリオ3を再プレイ。今回は南軍ばかり活性化することはなく、順調にシャープスバーグに両軍が集結しつつあります。

戦闘開始前

 北軍は初期配置で遠い所にも部隊がいます。それらも強行軍で近づいてきています。これ、第1ターン。アンティータム戦の2日前。史実ではアンティータム川を挟んで東西に布陣しましたが、これは南北に布陣している感じです。

 

 さて、ほとんど疲労レベル4になっているので、この日は北軍の残りの移動のみになりそうです。で、ルール的には疲労レベル4の場合、回復フェイズで「疲弊」状態になります。ユニットの上の部分に白い帯がある状態です。戦闘には支障ありませんが、行軍に支障が出る状態です。・・・もしかしてこのゲーム、疲労レベル4になるような限界の行動は不味いのでは?毎ターン疲労レベルは3回復します。なので疲労レベル3までなら、翌日元気いっぱい。

 うーん。シャープスバーグに部隊を集めることに夢中で翌日のこと考えていなかった。そもそも3ターンあるシナリオです。そして第3ターン目が史実のアンティータムの戦いの日です。もしかして、もう少しゆっくり部隊を移動させた方がよかったのかも・・・。

Here Come the Rebels! IIのシナリオ3に対する疑問

 Web会議で講演会など多くの人が参加する場合にマイクをオフにしない人は、きっと映画館でスマホの電源を切らない人だと思う。

 

 「Here Come the Rebels! II」のシナリオ3「マクレランの勝機」のプレイですが、ここの所、止まっていました。何故かというと、ドン引きするぐらい南軍ばかり活性化するからです。ゲームシステム的な問題ではなく、単純に賽の目次第なのですが・・・。

 しばらく放っておいたのですが、続きをプレイしました。やっぱりドン引きするぐらい南軍ばかり活性化します。まあ、ヒストリカルと言えばヒストリカルなんですが。ちなみに下図のような感じです。

南軍ばかり活性化

 これは第1ターンの状況です。南軍はシャープスバーグ周辺に集結しているのに北軍はほとんど前進できていません。このゲームでは活性化し行動すると疲労レベルが1つずつ増えます(戦闘結果でもっと増えることがあります)。疲労レベル0はマーク無し。疲労レベル1はユニットの左下に緑のマークが付きます。以後、2から4まで、白→オレンジ→赤と増え、疲労レベル4では活性化できません。で、北軍疲労レベルは0~2とかです。ほとんど活性化できていないのがわかります。

 このままゲームを進めると、多分第1ターンに北軍がアンティータム川の東に集まり、第2ターンは両軍とも疲労の回復。第3ターン(史実のアンティータム戦の日)で戦闘になるかと。ヒストリカルと言えばヒストリカルなんですが・・・。

 ところで、このゲームの勝利条件は、基本的にシャープスバーグに北軍がいるか隣接しているかです。もりつちさんのHPを見ていたら同じ「Here Come the Rebels!」のシナリオ3のリプレイを載せていましたが、どうも初代とIIでは変更があったようで、もりつちさんの方では南軍のリーはシャープスバーグを放棄していました。

 そこで考えたのです。そもそもシャープスバーグの戦略的価値とは、と。ゲティスバーグほど価値があるように思えません。むしろポトマック川の渡河点の方が戦略的価値があります。単純にリーが決戦を求め、その地をシャープスバーグにしたため、ゲームの勝利条件もシャープスバーグにしたような感じです。多分、初代はシャープスバーグでの決戦が行われにくかったので、IIで勝利条件を変えたのでしょう。戦略的意味がないにもかかわらず、たまたまそこで戦いがあったから勝利条件になるというのも、何か変な感じがしたのでした。

アナログ以上デジタル未満

 今日は防災の日でした。台風11号がかなり大型になるという事で、こちらにも影響が出るのかどうか。どうも変な動きをしています。

 

 ドクター・中松ってまだ生きていたんですね。今日、ニュースに出ていました。フロッピー撤廃という話題でコメントしていました。フロッピーってお役所じゃまだ使っているのですね。それにFAXも。なのでテレビ局もFAXを止められないそうです。首相官邸もインターネットに繋がっていないし、本当にこの国はIT技術後進国です。

三方一両損

 長兄がおごるというので、四兄弟が鰻を食べに行きました。長兄は体が大きいのでうな重2人前、他の兄弟は1人前を頼みました。長兄は自分の1人前分のうな重のふたを開け、中の鰻を四等分して一切れずつ弟たちに分けました。そして言いました。

 「これぞ四方四分の一損だ」

 次兄がそれは何故かと問います。長兄は、

 「もし、俺とお前が二人で鰻を食べに来たら、1人前の半分をお前にあげただろう。が、お前が受け取ったのは四分の一だ。その他の弟たちも同じだ。それぞれ四分の一ずつ損をしている。俺がお前たちの誰かと来ていれば、あげたのは半分だったが、皆で来たので四分の三をあげてしまった。四分の一を損している。皆が皆、四分の一ずつ損しているのだ。」

 弟たちはなるほとうなずいたのでした。

 

 これは落語や講談で有名な大岡裁きの一つ「三方一両損」のパクリですが、四分の一でもできるなと思ったのでした。

 ところで、この「三方一両損」の精神は、現代日本でも、もっと広まるべきではないかと思ったのです。みんなが得をする「Win-Win」というのはめったにありません。大体誰かが損したりします。人間は、自分の損は我慢できるが、他人の得は我慢できない、と何かで読んだ気がします。でも「三方一両損」の「Lose-Lose」の精神が(あるいはそう思える精神が)あれば、誰かを羨んだりすることはないのではないかと思います。そういった事件が結構多いですから。京アニとか小田急通り魔とか。

忘れられた人々

 東京の新型コロナ新規感染者がだいぶ減っています。最初はカウントされない人たちが沢山いるのかと思っていましたが、どうやらそれ以上に減っているようです。

 

 さて、ASL SK#1のシナリオ1を続けていますが、相変わらずアメリカ軍が勝てません。戦術を変えて、元々マップにいたアメリカ軍1個小隊は、西側(マップ上)のドイツ軍を潰してから東に転戦することを考えました。北側(マップ右)から来るアメリカ軍の増援は、そのまま東側(マップ下)から来るドイツ軍の相手をします。

 途中はアメリカ軍が分断されたような形になりましたが、最終的に西のドイツ軍は逃げまわった挙句に壊滅しました。一方、東のドイツ軍は北からくるアメリカ軍の増援の射程外を通って勝利条件ヘクスに落ち着きます。最終ターンはこのドイツ軍に対するアメリカ軍の攻撃(PFPh)がうまくいけばアメリカ軍の勝利ですが、ダメでした。

最終ターン アメリカ軍PFPh終了時

 なんか、最後のPFPhで射撃がうまくいくか行かないかの勝負になっている気がします。

 ところで、何故か指揮官のMCの時の六ゾロが出やすいようで負傷した指揮官があちこちに・・・。

 

 さあ終わった。取り合えずスクリーンコピーを残すか。見たら右上に増援として出していなかったアメリカ軍1個小隊がポツンといた・・・。マップ外なので忘れていました。VASSALあるあるですかね。今後はターントラックの所に置いておこう・・・。でもそうすると、マップのどこから出すかわからなくなるのですが。

「太平記読みの太平記知らず」どころか

 風邪ひいた感じです。

 

 太平記を少しずつ読み進めています。

 ところで、太平記南朝方主役の本だと誤解している人が多いようです。大阪で北朝シンパの会合に講演を頼まれた太平記研究の先生が、「敵方の巨魁が来た」と紹介されて驚いたとか。北朝シンパにとって太平記研究者は南朝方だと思ったのでしょう。

 多分、楠木正成とかの影響でしょうか。あるいは判官びいき吉川英治私本太平記も影響しているかもしれません。

 でも実際に読んでみると、どちらかと言えば北朝方の方です。それはそうです。成立は南北合一した後ですので、忖度するでしょう。それに、後醍醐については結構あしざまに書いています。そもそもこの戦乱は後醍醐に徳がなかったために起こったという感じです。だいたい元号北朝の物のみを使っています。

 太平記南朝万歳の本だと思っている人は、実際に太平記を読んだことがない人だと断言できます。何かを批判するなら、それについて詳しくないとね。

 楠木正成も、確か正親町天皇(信長の時代)まで朝敵扱いでした。確か正親町帝が赦免の勅許を出したんじゃなかったかな。若干記憶があやふやですが。

 

 風邪ひいてどうも頭が回っていません。少し論理がぼやけているような・・・。