風邪ひいた感じです。
太平記を少しずつ読み進めています。
ところで、太平記を南朝方主役の本だと誤解している人が多いようです。大阪で北朝シンパの会合に講演を頼まれた太平記研究の先生が、「敵方の巨魁が来た」と紹介されて驚いたとか。北朝シンパにとって太平記研究者は南朝方だと思ったのでしょう。
多分、楠木正成とかの影響でしょうか。あるいは判官びいき。吉川英治の私本太平記も影響しているかもしれません。
でも実際に読んでみると、どちらかと言えば北朝方の方です。それはそうです。成立は南北合一した後ですので、忖度するでしょう。それに、後醍醐については結構あしざまに書いています。そもそもこの戦乱は後醍醐に徳がなかったために起こったという感じです。だいたい元号は北朝の物のみを使っています。
太平記を南朝万歳の本だと思っている人は、実際に太平記を読んだことがない人だと断言できます。何かを批判するなら、それについて詳しくないとね。
楠木正成も、確か正親町天皇(信長の時代)まで朝敵扱いでした。確か正親町帝が赦免の勅許を出したんじゃなかったかな。若干記憶があやふやですが。
風邪ひいてどうも頭が回っていません。少し論理がぼやけているような・・・。