ウォーゲームの再現性の評価

 ふと
 誰か(主に私のみ)が思った
 このゲームを別のシステムでやったらどうなるか

 

 『ヒストリカル』ウォーゲームでは、大体史実通りの展開になれば、「シミュレーション性が高い」とか「歴史再現性が高い」と言われます。でも、本当にそうでしょうか。
 例えば、戦国時代、総大将が乗馬して突撃を叫びます。配下の兵士たちが駆けだします。総大将も駆けだしますが、途端に馬が石に躓いて転びます。そのあおりで総大将が落馬し、首の骨を折って死亡。部隊はチリヂリになってしまいました。
 そんなゲームをデザインしようとした時、あなたはどうしますか?
 そんなことはあり得ない、でしょうか。
 上記の例は、実際に起こったことではありませんが、似たような例を挙げることはできます。日露戦争黄海海戦の時、先頭を行くロシア軍の旗艦「チェザレビッチ」が被弾した時、操舵手が取り舵一杯の形で戦死したせいで旋回し、「チェザレビッチ」が後続の艦列に突っ込んで艦列がめちゃくちゃになりました。

 これ、似たような話ですよね。もし、こんなことが起こらなければ、デザイナーはこれをルール化しようとはしないと思います。ありえないって言って。

 さて、では「史実通りならシミュレーション性や歴史再現性が高い」という思想の場合、黄海海戦を一体どうデザインするでしょうか。陰謀ルール?ピンゾロで旗艦を急旋回させる?

 そう考えると、「史実を基準とするのは危険」と思いました。

 では、どう評価するのか。

 化学では、例えば「これこれをしたら、こんなものができた」というような新発見・新発明があった場合、全世界の科学者が「それは凄い!マネしなければ」などと諸手をあげたりはしません。大体が、同じ条件、材料、方法で行って同じものができるか(追跡試験)や、別の方法、材料、方法で同じものができるか(対照試験)などを行います。
 ウォーゲームでも、やはり「史実を基準」として評価するのではなく、追跡試験や対照試験のような比較実験を行ってシミュレーション性とか歴史再現性とかの評価が必要なのではないかなと思う次第です。

 

 話が飛んでしまっていますが、冒頭のセリフはこの比較実験のことを示しています。
 マップと戦闘序列(ユニットのレーティングは異なると思います)を同じものとして、システムを別にしたらどう動くのだろうか。
 そう考えて、何かいい題材がないかと探しました。

 CMJ153の『耳川の戦い』のマップと戦闘序列をお借りして、天下統一(tenkatoitsu)システムでやったらどうなるかなぁと。どちらもチットドリブンですが、本家耳川の方は全チットを入れるタイプで(正確に言えばちょっと違いますが)、天下統一の方はCPを使って選択して入れるタイプです。システムの比較にはちょうどよさそうです。

 

 ただし問題があります。実は私は『耳川の戦い』はプレイしたことありません。天下統一の方は、前の方の日記をご覧の方はわかると思いますが、ミニゲーム天王寺合戦を作ったことがあるので、まあ何とかできそうです。ただし、作った後で、本当の目的の比較実験のために両方のゲームをプレイしないといけません。
 ・・・大変だ。
 できるでしょうか。
 もしかしたらASLSK#5が出るのとどっちが先になるかというレベルかもしれません。

世のデザイナーはどうしているのでしょうか

 バルジの戦いのゲームは結構出版されていますよね。私も例にもれず、いくつか持っています。そして、マップを見比べてみたりするのです。

 確か、サンビットからマルメディのあたりですが、結構森林の形状がゲームによって違います。多分他の部分も違うでしょう。

 山とか川とか道とかは、案外変わらないものです。まあ、平地の川や都市部の道なんかは変わりやすいですが。それでも、ブラタモリなんかを見ていると、「これ、昔の川では」とか言っていたりしています。まあ、第二次大戦末期ぐらいの100年に満たないぐらいの過去ではそれほど変わりません。

 しかし、森林は結構変わります。実際googleマップでサンビットあたりを見てみると、森林は結構スカスカです。これだったらドイツ軍も苦労しなかったでしょう。大体が畑なんかに変わっているようです。

 で、そんな状態で、デザイナーはマップを作るときにどう森林の形状を決めているのかなと、疑問に思いました。

 日本ですと、陸軍測地部や米軍の航空偵察写真なんかが残っていて国土地理院のホームページから見ることができますが、アルデンヌ当たりなんかはそれほどデータが残っていない気がします。それに簡単に見つかるなら、ゲームによって違いが出るとは思いません。

 森林は装甲師団の進撃にかかわる重要な地形要素ですから、仇やおろそかにはできないはずです。でもゲームによって違うということは、やはりデザイナーが想像して作っているのでしょうか。まあ、データが残っていなくて誰も見ることができないなら、どんな形状にしても正解であるともいえます。観測できない事象については、結局は言ったもの勝ちなのです。

 そんな風に考えていたら、そもそもシミュレーション性とかを議論しても無駄ではないかと思いつきました。基礎となる土台が正確なモデルではないのですから。あまりやかましくシミュレーション性を云々しない方がいいのかもしれません。

心の不協和音

 「言い訳の多い生涯を送ってきました」
 心の不協和音とは、「なぜあの人はあやまちを認めないのか」(キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン、河出書房新社)で知った言葉です。簡単に言うと、ある問題に対して自分が見つけた解決方法を意気揚々と使っていたら、他の人からそれが間違いだと指摘された時に感じるものです。現実と、自分の心の中の思いが乖離することで、心理的なストレスが発生します。

 

 そういった事態になった時、人は大まかに分けて三つの行動をとります。
①間違いを認める
②間違いを認めない
③間違っていたけれど原因があると言い訳する
 ①の行動をとれる人は少数で、特に問題がその人の社会的地位や金銭に絡んだりすると劇的に少なくなります。
 ②は、指摘の方が間違いと決めつけたり、酷い時には間違いを指摘した人を抹殺(社会的、物理的)しようとしたりします。まあ、こちらもそれほど多くなないですが、こういった人には言葉が通じません。
 概ね一般的な人がとるのは③です。私もそうです。ただし、こういった自分に対する言い訳は自己欺瞞ですので、私はできれば①の人になりたいと思っています。

 

 今日、約2年ぐらい毎日続けてきた、とあるスマホゲームをやめました。理由は・・・と始めるとやめたことに対する言い訳になります。
 で、やめたのにどうもしっくりこない。心に不協和音があります。やめたという現実と、ほんとにやめてよかったのかという自分の心との間に乖離があるのです。
 何で不協和音があるのでしょうか。別に課金していたわけではないので、金銭的な損はありません。強いて言うと時間の損ぐらいですが、Windowsの付属ゲームのソリティアマインスイーパーをプレイした時間の方が圧倒的に多いはず。こちらはやめてもまったく不協和音がありません。何が違うのかと考えました。多分、ソリティアは1回のプレイ時間が短いので、あまり時間的負担を感じていないのでしょう。
 あるいは、毎日やっていたことをやめることに抵抗があるのかもしれません。

 

 で、まあ、いろいろとやめてよかった理由を考えたりしていたのですが、これは上記の③の行動です。①の人になりたいなら、やめた現実を受け止めて、すっぱり忘れることでしょうが、なかなかそうもいきませんね。

 

 毎日続けているこの日記も、いつか書かれない日が来るのでしょうか。その時、ネタがなかったとか言い訳したくないなぁ。

 

(追記)

 心がもやもやする理由、もう一つ見つけました。

 一所懸命育てたキャラ、爪に火を点す様にして貯めたガチャ石などなど、つまりゲーム内の財産を捨ててきたからです。

 なんという生臭さか。

 

心頭滅却しなくても

 テレワークしています。ここのところ、新規コロナ感染者が多いので、もっとテレワークしろと言われています。

 で、今日もテレワークでしたが、ここ一番の暑さでした。家では昼間冷房をつけないので、ダイレクトに暑さがわかります。今日は暑かった。

 でも、ここ数日、頭を悩ませていた(仕事上の)問題が解決したので、気分はいいです。心頭滅却しなくても、というよりそんな境地にはないですが、ある程度は暑さを忘れられました。結局気分次第ということですね。もし問題が解決しなければ、家の中で(物理的に)ごろごろ転がりながら、頭を悩ませていたことでしょう。見ている方が暑苦しそうです。

ASLのルールを整理しています

 スタンダードASLの和訳ルールを読みつつ整理しています。SKとも結構違う部分があり(SKルールを把握できていないかもしれませんが)、沼の深さを実感しています。例えば・・・

 迂回移動、危険な移動、ダッシュ、散布射撃、待機射撃、包囲、即応射撃、火線、分隊の展開と統合、狂暴化、不運などなど。

 また自己回復で+1DRMとかはSKではなかった気がします。SKにあるルールでも気が抜けません。

 それに、いきなり略称が出てきて戸惑います。TIとかPRCとか。後の方で出てくるようですが、文脈を見ながら何となく把握している状況です。PRCって、戦車とかに乗っている(中に入っているのではなく)兵士のこと?つまりPanther Riding Crewみたいな?といった感じです。

 その他、例外規定が多い。多すぎる。例外は背景色を変えていますが、もう、色が変わっているところがたくさんあります。これも覚えないといけませんので大変です。

 まだA章の半分ぐらいなので、先は長そうです。いつになったらBeyond Valorのシナリオができるのでしょうか。

総理は笑わない

 横浜市長選挙で、大学の医学部教授が当選したそうです。対抗馬は菅総理の腹心の元国家公安委員長。この辺りでどうなの、と思ったのですが、まあコロナに敗れたのでしょう。コロナが終息した後で大学教授の市長がどうするのか見ものですが。それに、一介の市長がコロナ対策を訴えても、影響は小さい気がします。

 それにしても菅政権での選挙は惨敗続きと言っていました。支持率も低下しているとか。確実にコロナ対策の影響ですね。とはいえ、そもそも菅総理、あまりぱっとしません(最初から思っていましたが)。

 というのも、この人、笑顔を見たことないです。小泉さんだけではなく安倍ですら一応笑顔らしい笑顔をしていましたが、この人の笑顔が想像できない。別に政治は顔でやるわけではないですが、一応は日本の顔なのであれはどうかと思います。

 まあ、こんなご時世だからそう思うのかもしれません。逆に笑ってばかりだと、何をへらへらしているんだ、と思ったかもしれません。人間、わがままなものです。

戦争マンガの世界について

 コマンドマガジン160号が届いたので早速見てみました。今号の「あなたの知らない(かもしれない)戦争マンガの世界」は「逃げ上手の若君」という北条時行を主人公にしたマンガでした。いや、そんなマンガがあるんだねぇと思ったのでした。ちょうど新書版で「中先代の乱」というのが出ていて、読みたいなと思っていたので、ジャストな内容でした。

 北条時行中先代の乱に敗れた後も、結構後の方まで名前が出てきますので、興味を持っていたのです。北条直系で狙われやすそうなのに生き延びているのですから。しかも歴史の舞台から退場せずに。それにしても高校の教科書ぐらいにしか顔を出さないのに、よく主人公にしたな。しかも少年マンガで。

 

 それはそれとして、「あなたの知らない(かもしれない)戦争マンガの世界」は毎回楽しみにしています。ぜひ、いしいひさいちの「鏡の国の戦争」を取り上げてほしい。これ、大学の時に読んで大爆笑しました。いしいひさいちといえば「がんばれタブチくん」や「おじゃまんが山田くん」などが有名ですが、「鏡の国の戦争」や「101匹忍者大行進」とか大好きです。また、シャーロック・ホームズ物が好きなので「コミカル・ミステリー・ツアー」とかもいいですね。

 「鏡の国の戦争」は、やる気のない兵士たちやあほな将軍・参謀などが出てきてキャラが立っていて面白いです。特に記憶にあるのは、第一次大戦西部戦線のように膠着した戦況を打開しようとして一大作戦を決行する話です。また、新任司令官に過去と現在の戦況図を説明して「変わっとらん、何をやっているんだ」と怒られた参謀の返しが秀逸でした。ネタバレになるから詳しく話せませんが。

 

(追記)

 NHKの英雄たちの選択で北条時行がテーマになるようです(25日放送)。なんか時行が流行りなのでしょうか。来年の大河ドラマは、北条の終わりの方ではなく最初の方の人(義時)が主人公だったはずですが。