心の不協和音

 「言い訳の多い生涯を送ってきました」
 心の不協和音とは、「なぜあの人はあやまちを認めないのか」(キャロル・タヴリス&エリオット・アロンソン、河出書房新社)で知った言葉です。簡単に言うと、ある問題に対して自分が見つけた解決方法を意気揚々と使っていたら、他の人からそれが間違いだと指摘された時に感じるものです。現実と、自分の心の中の思いが乖離することで、心理的なストレスが発生します。

 

 そういった事態になった時、人は大まかに分けて三つの行動をとります。
①間違いを認める
②間違いを認めない
③間違っていたけれど原因があると言い訳する
 ①の行動をとれる人は少数で、特に問題がその人の社会的地位や金銭に絡んだりすると劇的に少なくなります。
 ②は、指摘の方が間違いと決めつけたり、酷い時には間違いを指摘した人を抹殺(社会的、物理的)しようとしたりします。まあ、こちらもそれほど多くなないですが、こういった人には言葉が通じません。
 概ね一般的な人がとるのは③です。私もそうです。ただし、こういった自分に対する言い訳は自己欺瞞ですので、私はできれば①の人になりたいと思っています。

 

 今日、約2年ぐらい毎日続けてきた、とあるスマホゲームをやめました。理由は・・・と始めるとやめたことに対する言い訳になります。
 で、やめたのにどうもしっくりこない。心に不協和音があります。やめたという現実と、ほんとにやめてよかったのかという自分の心との間に乖離があるのです。
 何で不協和音があるのでしょうか。別に課金していたわけではないので、金銭的な損はありません。強いて言うと時間の損ぐらいですが、Windowsの付属ゲームのソリティアマインスイーパーをプレイした時間の方が圧倒的に多いはず。こちらはやめてもまったく不協和音がありません。何が違うのかと考えました。多分、ソリティアは1回のプレイ時間が短いので、あまり時間的負担を感じていないのでしょう。
 あるいは、毎日やっていたことをやめることに抵抗があるのかもしれません。

 

 で、まあ、いろいろとやめてよかった理由を考えたりしていたのですが、これは上記の③の行動です。①の人になりたいなら、やめた現実を受け止めて、すっぱり忘れることでしょうが、なかなかそうもいきませんね。

 

 毎日続けているこの日記も、いつか書かれない日が来るのでしょうか。その時、ネタがなかったとか言い訳したくないなぁ。

 

(追記)

 心がもやもやする理由、もう一つ見つけました。

 一所懸命育てたキャラ、爪に火を点す様にして貯めたガチャ石などなど、つまりゲーム内の財産を捨ててきたからです。

 なんという生臭さか。