吉野ヶ里の石棺

 吉野ヶ里遺跡で、初めて単独墓の石棺が出土したというニュースをやっていました。月曜日に石棺のふたを開けたようです。

 吉野ヶ里遺跡は、邪馬台国候補の1つであり、このような石棺は卑弥呼のお墓ではと期待が寄せられているようです。一方の奈良の方では、具体的なものが出土しない限り、自分の所が候補地であることは疑わないようでした。

 

 いわゆる邪馬台国論争ですが、私は九州説の方を支持します。何故かと言えば、そもそも九州説では日数が、近畿説では方角が疑わしいという事でした。で、確率を天秤にかけるとどうなるか。

 中国人は針小棒大のお国柄です。さらに、使者殿は自分がすげぇ遠くに行ったと功績を誇張するために日数を増やすことはあり得ます。そもそも書いてあるのは日数です。一日どれぐらいの距離を移動したか書いていません。中国からの使者殿ですから、途中途中で休憩を挟んで一日10kmぐらいとかもあり得ます。

 一方、方角については、中国でも易姓とか占いとか方角に関しては煩いはず。あまりいじるような気がしません。

 なので、日数マシマシの九州説の方が確率が高いかな、と思う次第です。

 

 さて、石棺を開けると、そこには土が詰まっていたようです。その土に赤い塗料が付着していて、かなり高貴な人の墓ではないかと言われています。来週中にも土を掘り進んで、もしかしたら人骨とか出るかもしれません。石棺内部のサイズは180cm×38cmという事で小柄な人のようです。試しに私の横幅を測ったら約50cm。38cmだと小柄と言うより子供ぐらいかも。横に寝かせているかもしれませんが。

 また、映像で見ると石棺の上の部分しか掘っていませんので、石棺の周囲を掘り進めたら副葬品とかがごっそり出てくるかも。「親魏倭王」の印綬や魏から送られた銅鏡とかが出てきたら確実となるでしょうか。

 

 そう言えば「邪馬台国」は「やまたいこく」と読みますが、卑弥呼の後継者は「台与」で「とよ」と読みます。ならなぜ「やまとこく」と読まないのか、ずっと疑問に思っています。別に九州にあった邪馬台国が東遷して大和になってもいい気がします。