ボケ始めたか

 昔、転勤していた時に一緒に仕事をしていた人が、転勤でこちらにやってきました。でもすっかり忘れていて、初めましてと言ってしまいました。いやいや、と言われ、そういえば顔に見覚えがあるな、と。でも名前が出てこない。その後の会話も知ったかぶりをしてしまいました。「異世界おじさん」の気持ちがよく分かります。

 昔から人の顔と名前を覚えるのが苦手ではありました。でも、もしかしたら、これは会社に対して興味を失っているせいかもしれません。興味あることはよく覚えています。例えばゲームのこととか。ルールを忘れても、もう一度ルールブックをざっと見れば大抵思い出します。

 とはいえ、ボケ始めているのに、わしはボケておらん、と自分を誤魔化す事はしたくありません。色々忘れていくなら、新しい事を覚えればいいのです。「アルジャーノンに花束を」でチャーリーも言っています。ドンドン忘れるなら、ドンドン新しい事を覚えればいい。そうすれば同じ所に立っていられるから。そんなわけで、何か新しいゲームを買おうか。それじゃダメじゃん

相変わらずシナリオ1をプレイ中です

 「戦闘指揮官」のシナリオ1で、タクテクス誌創刊号に乗っていたリプレイの初期配置を使用してみました。もともとこのシナリオには余り配置の自由度はありません。せいぜい、ソ連軍はN4の建物だけ、ドイツ軍はF5とK5とM7の建物だけです。さらに、ソ連軍と、ドイツ軍のM7の方はあまり考える余地がありません。

 以前から私の初期配置は分隊をばらすことでした。1ヘクスに分隊をまとめて配置してはいけない。そう教わったのです。射撃で火力をまとめるなら、射撃グループを作ればいいと。F5もK5も分隊をばらしていました。そして悲劇が起こりました。F5、H5の分隊がまとめて昇天。J4、K4も同じ。ソ連軍の最初の準備射撃期にです。その後、ソ連軍は突撃期に悠々と道路に出てきます。

 タクテクスの初期配置はLMGを2つまとめて1個分隊に配置しているところです。そういえば2個のLMGは分隊火力を損なわずに射撃できるのでした。LMGって火力が低いのでまとめた方がいいのでしょう。ただ、全体として分隊をまとめています。そして、第1ターンの準備射撃期にはあまり撃たれないような感じです。

タクテクスの初期配置

 ところで、N5とM9の間のLOSですが、VASSALモジュールですとM7の建物の角に引っかかっているような感じです。ボードでは引っかかっていないようです。この辺り、どうしてもバージョンなどの違いが出てきます。今回はLOSは通らないとしました。ちなみにほかにもありましたが、建物の角を通るならLOSは通らないとしています。ただ、そうするとドイツ軍のHMGって活躍の場がないんですよね。これをうまく活用する方法を考えなくては。移動力はHMGで-2になりますが指揮官の+2があるので±0。つまり4MPで運べます。するとF5の建物の方に持って行った方がいいのかも。やはり親衛赤軍が脅威ですから。親衛赤軍は射程が2なのでアウトレンジで叩くのがいい気がします。

 

 それはさておき。

 取り合えずタクテクスの初期配置でプレイしてみました。・・・やっぱダメじゃん。最初の準備射撃期でH5とJ4の分隊が潰されます(broke)。うーん。ちょっと確率計算してみよう。

 H5の方は、ソ連軍の火力合計18でCRTは16列。TEMと指揮官の差し引きでDRM+1。それで生存率を計算したら、44%・・・。やばいな。では2個分隊いたとしたら、61%。悪くはない。KIAもあり得ますが、8%です。西側が1個分隊と指揮官でちょっと心もとないけど、まあ何とかなるか。

 ちなみにJ4の方は生存率は77%もあるので、大丈夫なはず。前は大丈夫じゃなかったけど。取り合えず、これで再度プレイ開始。

 いきなり以下のようになりました。

変更した初期配置とその結果

 ぐはぁ!

 もうこうなったら、F5はみんな一緒にいればいいじゃない。ついでにJ4の方も下げる。「みんないっしょだよ!」作戦です。ちなみにH5にいるとJ2から撃たれるのでG6に下げます。これならMMG4火力しか使えません。生存率については、指揮官がbrokeするかどうかで変わるので面倒ですが、取り合えず3ユニットいれば最低1ユニットが生き残る確率は71%です。何とかなるでしょう。

「みんないっしょだよ!」作戦

 さあ、再プレイ。ソ連軍が準備射撃を行います。G4からG6へ射撃。出目は2と1。DRM+1で4。結果はKIA・・・。呪われている。

そして、誰もいなくなったF5建物

(追記)

 じゃあ、もう、最初から撃たれない場所に配置したら、こうなりました。

第1ターン ドイツ軍回復期

 やっぱり呪われている。ダイスの神様に。

「シャーロック・ホームズの護身術 バリツ」(エドワード・W・バートン=ライト)

 「バリツ」と言えば、シャーロック・ホームズが「少々かじった」「日本の格闘技」として有名です。でも、「バリツ」なんて、日本の格闘技にはありません。語感として近いのは「馬術」ですが、もちろん馬術は格闘技じゃありません。まあ、馬同士の格闘技かもしれませんが・・・。ある訳書では「武術」ではないかと言っていましたが、武術は格闘技に限らず、刀槍術や杖術なども含んだ総合的な言葉ですので、さすがに違うでしょう。

 ところが、これではないかというものが現れ、直ぐに否定されたものがあります。それが「バーティツ」です。バーティツは、バートン=ライトが1898年頃に創設し、コナン・ドイルが「空き家の冒険」でバリツの話を書いた1903年には道場もあったようです。で、何故否定されたかというと、時系列的にホームズが知っているはずが無かったためです。ホームズがバリツを使ったとする「最後の事件」は1894年。その頃、バートン=ライトは日本でバーティツの元になる柔術を習っている最中でした。

 この本は、バートン=ライトが「バーティツ」を紹介した「ピアソンズ・マガジン」の訳です。同誌に掲載された写真も載っています。バーティツは柔術だけではなく、ボクシングやステッキ術と言った、いわゆる総合格闘技です。多分世界最初の。読んでみたら、結構面白い。というのも、「紳士の」護身術を目指しているためです。世紀が変わる当時のイギリスは、切り裂きジャックなどの事件があるような不安な時代でした。そこで、こういった護身術が流行ったようです。そして「紳士」なので相手を叩きのめすのを目的とせず、できれば相手が退散してくれるように、それでなければ相手を取り押さえるように戦うのです。勿論「紳士」ですから逃走など以ての外。

 格闘にはテコの原理を入れて相手を倒すというのを目的にしています。写真からわかりにくい所もありますが、文章で丁寧に説明しています。

 それはそうと、結局道場はあまり流行らず直ぐに閉めてしまったようです。その後、バートン=ライトは二度とバーティツを再開しませんでした。でも、この人、91才(1951年没)まで長生きしています。案外個人ではバーティツを続けていて健康的だったのかもしれません。

エイプリルフール

 ケンタッキーフライドチキンが、4月1日限定でチキン詰め放題をやると、公式Xに投稿したそうです。4時1分から41人限定で401円という事で、まあエイプリルフールと分かるかもしれない単語をちりばめていたようですが、信じて行った人はいたのでしょうか。

 どうも私はエイプリルフールというのが嫌いです。昔々の、素朴で正直な人が多かった時代なら、まあハレの日という事で1日ぐらい嘘が許される日があってもよかったでしょう。が、現在、あちこちで嘘がまかり通っています。特にネットではフェイクニュースやらデマやらが拡散しやすくて問題になっています。

 もう、そろそろ、人類は、エイプリルフールを「嘘をついていい日」ではなく「嘘に注意するように啓蒙する日」にした方がいいんじゃないでしょうか。

「蒙古襲来」、「しぐさ・表情 蒙古襲来絵詞復原」

 「蒙古襲来」(山川出版社)と「蒙古襲来絵詞復原」(海鳥社)は、どちらも服部英雄の本です。従来、定説となっていた、あるいは歴史の教科書に書かれていたことに関して、事実とは違うという点を指摘しています。この人は数多くの資料を読み込んでいるうえに、合理的な考え方で物事を説明しているので、すごく説得力があります。大体が、歴史学者っていう者、特に東大とか京大とかの歴史学者は先人の説を鵜呑みにするので信用が置けないことが多いです。その点、新しい(そして奇抜ではない)説を唱えるのは、やはり権威とかには毒されない学者なのでしょう。

 「しぐさ・表現 蒙古襲来絵詞復原 永青文庫白描本・彩色本から」の方では、有名な竹崎季長蒙古襲来絵詞を細かくチェックして解説しています。絵詞という通り、絵と言葉が描かれているものなのですが、従来はこれらから一連の流れに沿った合理的な物語を描いてきませんでした。この本ではストーリーに沿って、ここで何を言いたくてこの絵を描いたのかというところまで考察していてとても面白い。さらに、前段では蒙古襲来絵詞がどう発見され保存されてきたかを解説し、後段では竹崎季長が恩賞として得た土地の話(完全に比定されていない 追記:恩賞地は比定されていました。比定されていないのは出身地。玉名と益城の2か所に竹崎という地名があるようです。)や元寇による蒙古軍の捕虜のその後について(数人ですが)も書いてありました。これもなかなか興味深いものでした。

 二冊ともに、前に作ったゲームの資料として買ったのですが、読み終えてからあのゲームもちょっとシチュエーションが良くなかったかなと思った次第。まあ、そもそもが質の違う軍隊の戦いについてのゲームを作ってみようかと思ったのが元なのですが。

木久扇師匠の卒業

 今日で、笑点を55年続けてきた木久扇師匠が番組を卒業しました。多分・・・。なんか、来週新メンバー発表とか言っていますが、シレっと木久扇師匠がいるんじゃないかという気がしたりします。円楽師匠の時は新メンバーが決まるまで結構時間があったし・・・。でも、卒業発表から半年たっているからメンバー選定は済んでいるのかも。さすがに木久蔵師匠が出てくることはないと思いますが。

「敗北は百年の呪いよ」(菊池武房)

 「アンゴルモア元寇合戦記博多編」(たかぎ七彦)の最新刊(9巻)をさっそく読みました。取り合えずこの巻で文永の役はほぼ終了。後はエピローグか。それとももう一戦ぐらいあるか。

 文永の役は、よく博多に着いたとたん嵐によって蒙古船が被害を受け、一日で撤退したという風に教わったりしますが、明治時代の軍人も「ガキの使いじゃないんだから、一日で帰るか」と言っていた様に、実際にはもっと戦いがあったと思います。神風で蒙古を撃退したと言いたい人達が広めた誤った考えだと思います。

 さて、タイトルのセリフは、その前のセリフも含めて考えると、太平洋戦争に負けた日本のことを言っているように思います。戦後80年。まだ呪いは続いています。