老化は足からか

 今日、ちょっと歩くことがあったのですが、足の裏が靴擦れで痛いです。昔、と言っても10年もたたない昔ですが、都島から日本橋まで往復歩いたりしたものだったのですが、コロナ禍で外出が減ったせいでしょうか、歩くことが少なくなって、足の裏が弱ったんじゃないかと思われます。たまには長距離行軍しないといけませんね。

体調のバロメータ

 昔書いたことですが、家にあるデジタル体温計は、どうも怪しい。熱がありそうだと思って計っても、平熱だったりします。コロナワクチンを打った時も言われているほど熱が上がっていません。平熱よりは高かったけど。そんなわけで、頭痛とか咳とかの目に見える症状が出る前の体調については、小便の色で判断しています。実際に体調が悪いときは結構濃い黄色になります。

 さて、FB北斗の拳を毎日プレイしています。結構JUSTの結果が出るのですが、体調が悪いときはGOODが増えるような気がします。ワン・ツー、ワン・ツーとタイミングを取るのが重要なポイントですが、体調が悪いとどうも体のリズムが狂うのではないかと思うのです。

 ちなみに今日もGOODが768発中7発も出ていました。実際、ちょっと頭痛とのどの痛みがあったりします。小便も少し黄色みがかかっています。うーん。これはかなり関係があるのかもしれません。FB北斗は毎日プレイするので、バロメータとしてはちょうどよい気がします。

ルールを書き始めました

 アイディアばかり出てきて収拾がつかなくなりそうです。なので、もう、ルールを書き始めました。ルールを書いていると、足りなかった考えとかもわかり、アイディアもまとまってきてよいのです。そういえば、仕事の報告書も書き始めたら考えがまとまってくるよなぁ。多分、ルールを書くというのは、ゲーム作成の中でも結構重要で、工程が進展することなのかもしれません。

魂の詩

 プリコネのアリーナで203位になりました。途端に頭に浮かんだのは「おしーえてーくだーさいー」。魂に刻まれた詩です。あの当時はさだまさしが好きだったこともあって、よく聞いていたものです。何かの拍子に、ふと思い出す歌って結構あります。

発散しつつあります

 シナリオ形式にしようと思っていました。L&C太平記の太平の夢。第一次から第四次の京都攻略戦に、足利義詮征夷大将軍になった直後の南朝攻めの5つです。ただ、これらは期間が短い(大体3か月)ので、1ターン10日~15日かなあとか思っていたのです。でも、この期間の動静を読んでいたら、第一次から第三次京都攻略戦と、南朝攻めから第四次京都攻略戦をまとめられそうな感じがしました。これらは約3年で、L&Cのスケール間にちょうどいい。でも、両方のスケール間が合わないな。そこで考えたのがGCACWの様な基本ゲームと上級ゲームに分けるやり方です。これなら上級ゲームルールとして、期間が長い部分を扱えそうです。

 などと、考えていると、段々考えが発散してきてしまって・・・。これはゲーム作成にはヤバい。

正儀について

 L&C太平記の制作で、楠木正儀の本をいろいろ漁っています。現状、それほど多くは無さそうです。元々、正成(父)、正行(兄)、正勝(息子)に比べて、評価が低かったのも原因ではないかと。特に皇国史観では。太平記の否定的な記述ばかり引用されていて、肯定的な記述(太公望に匹敵するとか)は無視されています。コチコチの連中は嫌ですね。

 個人的には、正成に最も似た息子ではないかと思っています。正行や正勝はどちらかと言えば正季に似てるんじゃないかな。また、正勝を見ると姜維伯約を思い出します。両方とも主君が投降したのに抵抗をやめませんでした。本当の忠義なら主君が投降したら従うものではないかとも思います。意地か、それとも主君のお家再興の希望か。いずれも結局果たせませんでしたが、満足だったのかな。

 正儀は、人柄としては穏やかで優しい感じです。父も兄も戦死しているので、戦はそれほど好きではなかったのかもしれませんが、それでも強かった。徹頭徹尾、和平派だったようです。北朝に投降したのも、主戦派の長慶天皇や取り巻きたちとの不和が原因でしょう。とはいえ、北朝でも結局は居場所をなくして南朝に戻っていますが。

 4回にわたる京都奪還戦は、多分正儀の絶好調の時期だったのではないかと思います。