これでいいのだ

 前からちょくちょく書いていますが、私は常に「自分の人生は一体何だったんだろうか」と考えています。

 

 「なあ、アムロ。これでよかったのか」とは、アムロ戦死後にカイ・シデンがつぶやいた言葉です。うろ覚えですが。

 「これでよかったのか」とは、黒田如水が「自分の人生は何だったか」と問いかける前につぶやいた言葉です。

 

 最近、孔子の有名な言葉を思い出していました。

 十有五而志于学

 三十而立

 四十而不惑

 五十而知天命

 六十而耳順

 七十而従心所欲、不踰矩

 五十歳で天命を知り、天命に逆らってみたりします。で、六十歳で天命を受け入れ順うようになります。ちなみに、これを「耳に順う」とか読む例があったりしますが、酷い誤解です。耳に順うって、なにそれ。そもそも漢文は「鬼(を・に)と会ったら引っくり返る」と倣ったはず。「耳に順う」なら「順耳」でないと読めません。ここは、五十代で天命に逆らったりして見たけど、うまくいかないので、天命を受け入れてそれに順うと読むべきでしょう。で、七十歳では「天命=心の欲する所」とまでなるのです。だから、「矩=法律とか自分の信念とか=天命」を逸脱しないとなるわけです。

 私はもうすぐ六十で、天命を知って、もうこれに順うしかないなと思っている所でした。とはいえ、まだ釈然としていませんでした。

 

 そんな折、以下のような記事を見たのです。

kaigo-postseven.com

 これを読んで、「ああ、人生に意味なんか求める必要が無いんだな」と思ったのでした。

 そう、「これでいいのだ」

 如水も、後で「これでよかったのだ」「それが、わしという男だ」と続けます。

 鈴木大佐も「これでいいのだ」と「闇と光のルール」の中で書いています。

 多分、私は時折「自分の人生は一体何だったんだろうか」と問い直すかもしれませんが、多分続けて「これでいいのだ。わしという男は、こういう男なのだ。」と思う事でしょう。

 「これでいいのだ」とは天命を受け入れ、順う言葉なのです。