ボスワースの戦い

 1485年の今日は、薔薇戦争を実質的に終了させたボスワースの戦いの日です。実際には、まだヨーク方の残党の蜂起(1487年ストークの戦い)があったりしますが。この戦いは、イングランド国王リチャード3世とリッチモンド伯ヘンリー・チューダーの戦いで、リチャード3世敗死後にヘンリー・チューダーはヘンリー7世として戴冠しました。リチャード3世は享年32才。結構若いな。

 この戦いは、リチャード3世方だったノーサンバランドが動かず(関ヶ原の毛利みたい)、スタンリーが裏切り(関ヶ原の小早川みたい)、リチャード3世がリッチモンドの本陣に突撃して旗持ちを倒すなど(大坂夏の陣真田幸村みたい)、日本史のシーンにもなりそうです。黒澤監督だったらどう料理したかな。

 影武者を 銭の数ほど 出して見せ

 江戸時代の川柳です。夏の陣で幸村が、真田六文銭の数(つまり6人)影武者を使ったという事です。シェークスピアの「リチャード3世」でも、「リッチモンドは6人いるのか?5人倒したが、全部影武者だったぞ!」というリチャード3世のセリフがあったりします。シェークスピア真田幸村の事を知っていたら、もう一人増やしたかもしれない。

 シェークスピアの「リチャード3世」では、有名な「A horse! a horse! my kingdom for a horse!」というセリフがあります。自分の王国と交換したいほど馬が必要だという、戦場での心理が表れています。実際にこんなセリフを吐いたかどうかわかりませんが、シェークスピアの「リチャード3世」の影響力が強く、リチャード3世は悪役というイメージが強いようです。現在では、振り子の反対側(リチャード3世擁護派)も現れて、協会を作るまでになっています。しかし、擁護派も反対派もリチャード3世が勇敢だったという事は否定できない、と何かに書いてありました。

 

 この戦いの後戴冠したヘンリー7世は、大貴族の権力を低下させ、王権を強化して中央集権化を図っていきます。ただ、この動きは、エドワード4世の頃から始まっていて、次のリチャード3世でも行われていました。ただし緩やかに。これがボスワースの戦いでノーサンバランドやスタンリーの裏切りに繋がったという説もあります。ヘンリー7世はもっと過激に大貴族の追い落としをしました。罪を着せて投獄し、莫大な保釈金を取り立てて、大貴族の経済力を落とす(ついでに王家の金庫を潤す)。なんだか、秀忠・家光が、大名に難癖をつけてお取り潰しにしているのを見るようです。まあ、徳川家は、チューダー朝よりも中央集権化が進んでいませんが。