「中世荘園の様相」(網野善彦)

 小浜市の東にある太良荘という小さな荘園の成り立ちから戦国時代までを、史料を駆使して鮮やかに描きだしています。いや、ホント、面白い。網野先生と言えば、庶民の側から見た歴史を研究していた有名な方ですが、この本はその原点と言えるものです。

 網野先生は、戦後、マルクス史観に囚われて卒論などを書いたようですが、この本を執筆している時には、既にマルクス史観から卒業していました。そもそも○○史観というのは、「観」の字がある様に、あくまで主観的なものです。歴史学は「事実」のみを基礎とした学問ですので、○○史観なんぞは無意味なものでしかありません。司馬史観もそうですね。

 さて、太良荘は東寺(教王護国寺)の荘園として発展してきました。しかし、鎌倉以降(というより承久の乱以降)は武家方の地頭が配され、荘園支配が複雑になってきました。

 ちなみに、歴史の教科書的には、鎌倉以降、守護・地頭(武家方)が領家(公家や寺社)の荘園に入り込み支配を蚕食してきた。そこでは、百姓は重い税に塗炭の苦しみを味わっていました。といったマルクス史観的な階級闘争の歴史がある様に習いました。

 しかし、この本を読むと、そういった史観が全く当てはまらないことがわかります。確かに地頭は隙あらば領家方の農地を奪おうとしますが、領家方の方も黙っていたわけではなく、時の権力の裁判組織に対して、何度も訴えを起こしています。さらに、百姓もただ黙って殴られていません。時には年貢を減免しろとある事ない事書いて陳情します。挙句に減免しないと逃散するぞと脅したり。そして、やたら高圧的な代官を罷免させたりしました。ああ、痛快。

 特に南北朝期は酷いもので、無政府状態になったりします。建武の新政がダメダメなのがここでもわかります。

 室町期に入ると守護大名一色氏が入府し、さらに没落した一色氏に変わり武田氏(若狭武田氏)が支配します。その頃になると、網野先生が考える荘園を支配する原理「所織」が廃れてくるという。「所織」とは、いわば部長とか課長とか言うような役職です。で、役職手当が付くため、力あるものはこぞってそれを安堵してもらおうと時の権力(守護とか東寺とか)におもねるのです。これが中世にわたって荘園を支配した原理だといいます。

 この本が書かれたのは60年も昔なので、いくつかは比定されている見解もあるようです。が、資料を基にした名も無き人々の生き様が生き生きと描かれていて、一気に読めました。