東アジアを対象とした文房具(筆、墨、硯、書写材料(木簡、竹簡、紙など))に関する本です。著者は、元々文房具屋さんの子供だったようで、栴檀は双葉より芳しというか、蛙の子は蛙というか、三つ子の魂百までというか。
文房具を主軸にしていますが、文字文化(文字活動)についても書かれています。文房具の発展は文字活動と密接に関係しています。文字とは、記録と伝達に使うものですので、文字活動があることの証明には、文章としての遺物が残っている必要があります。有機物である筆や書写材料は残りにくく、墨は消耗品であるため残りにくい。硯は残りやすいかと思われるのですが、実のところ現在の硯の形になったのはかなり後で、昔は土器を焼いた時に出た失敗作の欠片を硯代わりにしていたりしたようです。そりゃ分からんわな。考古学をするには、こういった事も知識として持っていないと、ただの土器の破片で片づけてしまいがちです。考古学って大変だなぁ。
また、文字が存在することが文字活動の存在を証明していない。と書かれています。例えば、弥生時代の土器に文字が書かれていたり、あるいは弥生時代の遺跡から貨幣が出てきたりするようですが、だからといって文章が書かれている(文字活動)や貨幣経済があるとは言えません。今でも、漢字カッコいいと言って、意味も分からずに漢字が書かれたTシャツを着ている外人がいたりしますが、あれと同じです。海の向こうの大国が使っている、かっけーとか思って文字を土器に書き入れたり、なんかピカピカして綺麗と言って貨幣を持っていたりしただけかもしれません。考古学って大変だなぁ。
それと、鉛筆についても少し話がありまして、徳川家康や伊達政宗が鉛筆を持っていたようです。とはいっても、現在のような形の鉛筆は18世紀末のフランスです。それ以前の形、つまり鉛筆の芯の部分だけを筆先にしたようなものが残っているようです。実際に使っていたかどうかはわかりませんが。うん、知らんかった。鉛筆と言えば、NHK大河「花神」で大村益次郎が使っているのを西洋かぶれとか言われていたのを思い出します。徳川家康や伊達政宗も使っていたと知っていたら、そんなこと言われなかったでしょうね。
案外身近なのに、どう使われてきたのか、誰が使っていたのか、と言った事を考えていなかったので、参考になりました。とはいえ、まだ研究の半ばのようです。ホント、考古学って大変だなぁ。