ネットでニュースを見ていたら、上記のタイトルに出会いました。何でも、大阪西成のドヤ街に住み込んでみた人のルポ本からの引用のようです。作者は30代の人で、西成に住んでいる人々を取材したらしい。当時、作者は「人は何のために生きるのか」という事を考えていたようで、それに対して元ヤクザの住人が「みんな死ぬまでの暇つぶししとるだけや」と言ったらしく、なんか深いとニュースにしたようでした。
まあ、確かに仏教的な無常観にあふれる言葉のようです。なんとなく「梁塵秘抄」の「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」にも通じるものがあるような気がしました。暇つぶし=遊びですね。
とはいえ、実はこの言葉の前にある言葉も含めると、発言者の別の意図が見えてきそうです。
「西成でそんなこと考えているやつ、ひとりもおらん。みんな死ぬまでの暇つぶししとるだけや」
だそうです。これを聞くと、ここで言っている「みんな」とは西成の住人の事を指していて、「西成の住人は、この先の希望がないので、死ぬまでの間の暇つぶしに生きているだけや」とも読み取れます。
そうです。恐るべきマスコミのスリコミ。長い言葉や事実から一部分だけを取り出し、全く別のものに仕立て上げる手法です。気を付けるべきかな。
まあ、とはいえ、この言葉はある意味深い気がします。喋った本人の意図とは別に、いい言葉だなと思いました。