太平記を読み終わりました。作者が疲れちゃったのか、義詮が死んでからは随分とあっさりしていました。人徳がある細川頼之が管領になって天下泰平になりました。めでたしめでたし、と。まあ、作者はこの時点で書くのをやめたのでしょうが、史実ではまだ先があります。義詮が死んだのは1367年。南北朝が統一されたのは1392年。その間に細川頼之も失脚しています。太平記の後半は、誰かが幕府で権力を握るたびに失脚するというのを繰り返していて、少しは前に人間から学べよとか思います。そして、裏では佐々木道譽の暗躍が・・・。太平記がまだ続いていたら、細川頼之万歳では終わらなかったことでしょう。
岩波文庫の太平記の各巻末には、それぞれいろんなテーマで解説が書かれています。最終巻の解説を読んでいて、なるほどなぁと思った事があります。
この巻では、「『太平記』の影響」として後年の太平記研究を軸に、江戸時代以降に成立した史書について書いてありました。その中で、編年体と紀伝体での史書の比較がありました。編年体では「本朝通鑑」や「読史余論」があり、紀伝体では「大日本史」があります。で、紀伝体側から見ると編年体は「元史料の記事をしばしば無批判に採用し」てしまうとしています。また「民間伝承や小説の類に接近する危険」があるとしています。一方、編年体側から見ると編年体は「出来事の因果関係としての歴史であり、そこから見えてくる『天下の大勢』の変化」こそが重要なのだとしています。もちろん、どちらも重要な指摘です。
さて、歴史小説は、当然ながら紀伝体側の書物です。まあ、「小説フランス革命」のように、単一の主人公を書いていないものもありますが、あれは群像劇として見ればよいかと思います。小説だから史実ではないというのは当然なのですが、一般庶民は小説の内容を史実として飲み込んでしまう事が多いです。いい例が司馬史観です。
この解説の中で、児島高徳についての言及がありました。実は私は児島高徳の歴史小説を買っていて、未読でした。もし読んでいたら違った感想を持ったかもしれません。解説の中で、編年体では児島高徳は歴史に影響を与えていないため無視しているが、紀伝体では名和長年と同じ分量の伝記が載っているとしています。どちらも確かになあと思います。確かに太平記の中でも児島高徳は言及されてはいますが、大した活躍をしていません。
こういった感じなので、歴史小説は好きではありますが、どちらかと言えば個人の事績に関する研究書の方が好きです。とはいえ、研究書では主人公の心の内をダイレクトに示すことがなく、小説の方がその点は優れています。もっとも注意すべきは、その心の内というのが現代の基準で見てはいないかという事ですが。
多分、乱読するのがいいのかもしれません。