一の谷の疑問

 今日は健康診断でした。それにしても「朝飯を抜く」、「水は100ccまで」、「血を抜く」、「目に強烈な光を当てる」、挙句に「すきっ腹にバリウム飲ませる」などと不健康なことをしないと健康診断できないのか。なんか、兵器の試験で、悪環境でいじめまくられている気になります。

 

 「アラブから見た十字軍」を読み終えました。最後は残虐非道なフランク人どもをアラブの地から追放して大団円。とは終わらず、現在のアラブ世界が西洋世界に負けている状況について原因を考察しています。十字軍当時は文化・文明はアラブの方が上でした。その辺については本編で裁判と医学を例に書かれています。しかし、西洋はアラブからそれらを学びルネッサンスとして開花させます。一方のアラブは保守的になり西洋から学ぶことをしませんでした。十字軍当時でも法制と人権に関しては西洋の方が上でした。それらはアラブが取り込むことができれば強い力となったかと思います。

 

 「いつでも、どこでも、義経」ルールを考えたので、一の谷の戦いをゲーム化しようかと思っています。が、調べるといろいろ疑問が出てきました。

 国土地理院のHPから一の谷付近の標高データをダウンロード(無料)して立体地形図(ブラタモリとかで出てくる奴)を作ってみたのです。そこで疑問が出てきました。所謂山の手(夢野口)と呼ばれるのは、現在鵯越という地名になっているところです。が、その西の妙法寺川沿いも十分進撃路になるのではと思ったのです。第一、三草山からくると妙法寺川沿いの方が直接福原に行けるのではと。

 また、須磨寺の東、現在の須磨多聞線沿いにも鉢伏山を北に迂回する古道があったようです。これは悪天候時に須磨~塩屋の海岸沿いが通れない時に使われたようです。平家追討軍がこの道を知らなかったとは思えません。搦手軍は塩屋に集まったのですから。

 そんなわけで、まだマップは作っていませんが、搦手軍は浜手(塩屋口)、古道口、妙法寺川口、夢野口を通って福原に攻撃できるようにしようかなとか思っています。

 現地踏査ができればいいんですが、これのために行くのもねぇ。まあ、売り物ではないのでいいかなと。