本能寺の変

 TACTICSの記事を拾い読みしています。復刊の経緯は、もともと付録の「本能寺の変」が契機だったようです。例の「麒麟がくる」に合わせて作ったようですが、掲載誌が無くなって宙に浮いたのを、TACTICS復刊に熱意を燃やす編集者が強引にねじ込んだとかなんとか・・・。素晴らしい。この人のために売れてほしい。で、復刊に合わせて山崎と黒井城を作ったようです。

 この「本能寺の変」の勝利条件はというと、ただ信長を討てばよいというものではありません。「確実に」信長を討たないと明智に勝利はありません。デザイナーの福田誠は、このことについて史実は明智の敗北としています。確かにその通りだと思いました。

 中世から近世において、獄門、首を曝すというのは、単に勝利を宣言するだけではなかったのではないでしょうか。まずは、「確実に」その者が死んだという事を示すこと。そして、その者の悪事を公表すること。この二つができて初めて意味があったと思います。

 「確実に死んだ」を示す点については、本能寺の変の後で秀吉が味方を募る際に信長は生きていると書状に書いています。また、イギリスの薔薇戦争時、ウォリック伯が死んだと示すために、死体をロンドンでさらしています。そうしないと、我こそはウォリックと言って偽物が出てくるためです。実際、ヨークの残党も同じ手でヘンリー七世に反乱を起こしています。

 次の悪事の公表については、立て札だけでは効果が薄かったのではないかと。首を付けることで、因果応報だと示したのでしょう。同じく薔薇戦争時、ヨーク公リチャードの首に紙の王冠を付けて、王位簒奪を狙ったという事を示しました。

 こういったことを考えると「信長を確実に討つ」という勝利条件は妥当と思われます。デザイナーの着眼点のすばらしさです。

 

 ところで、「信長の首」というタイトルの小説はいくつかありますが、昔『首の信長』(小林恭二)という小説を読みました。SF小説です。時間管理官(だったかな)が信長を助けようとするのですが、何故か家臣一同が信長の首を狙うのです。まるで猫にマタタビ、薬中に麻薬のような感じで。アマゾンの紹介文で「妖しく性的魅力に溢れた信長の首」と書いてありました。すごいヘンテコな小説だった。

 また、前に紹介した『何度、時をくりかえしても本能寺が燃えるんじゃが』もありましたが、これらの本は「本能寺の変」をプレイする際に読んでおくと・・・まあ、あまり参考にはなりませんかね。