事実と真実の違い

 今号のCMJ#163の「歴史無駄ばなし」の記事を読んでいて、ちょこっとだけ引っかかったことがありました。エーリッヒ・フォン・マンシュタインレヴィンスキー家からマンシュタイン家に養子に入ったそうですが、生家のレヴィンスキー家はユダヤ人の血が入っていたという噂を流されたことがあるそうです。事実関係は今となっては知りようがないそうです。ただ、マンシュタインの副官の記憶では、マンシュタイン自身が認めたと言っていたという事や、マンシュタインの次男もその可能性があると言っていたようです。なので、記事のまとめとして「もしマンシュタインユダヤ人の血を引いていて、自らそれを知っていたとするなら、ナチス期における彼の言動、特にヒトラーとの対立に関する解釈は、従来とは異なる陰影を帯びることになるだろう」としています。

 「もしマンシュタインユダヤ人の血を引いていて」ここに引っかかりがありました。

 日本人の多くは「事実」と「真実」を混同して使っています。が、私はこれは異なるものだと考えています。

事実:fact、叙事的、客観的

真実:truth、抒情的、主観的

 「真実」の「真」の字には「心」という意味もあります。つまり「真実」とは各人の心の中にあるものです。「名探偵コナン」で「真実は一つ!」とか言っていますが、私に言わせると「事実(犯人)は一つ」で「真実」はコナンの真実、小五郎の真実、目暮警部の真実と各人各様の真実が沢山あるのです。「太陽の牙ダグラム」の予告でも「Not even justice. I want to get truth.」と言っていますが、私に言わせると「Not even Truth. I want to get FACT.」ですね。

 さて、マンシュタインの話に戻りますが、事実としてレヴィンスキー一族がユダヤ人の血を引いていようがいまいが関係ないのです。マンシュタイン自身がどう思っていたかが重要で、自身がユダヤ人の血を引いていると思っていたとすれば、「従来とは異なる陰影を帯びることになるだろう」だとは思います。そして、私はその可能性が高いという気がします。

 歴史は事実が重要なのですが、人を動かすのは真実の方です。とはいえ、マンシュタインが自身にユダヤ人の血を引いていると思っていたとしても、自身をユダヤ人の同胞とは思っていなかったのではないでしょうか。むしろ「プロイセン軍人」という意識の方が強かった気がします。「水は血より濃い」のです。なので、「従来とは異なる陰影」も、さほど濃いものだったとは思えません。