『雪の峠』という岩明均の歴史マンガがあります。関が原直後の佐竹氏の家臣渋江内膳が主人公でして、物語にどんでん返しがあり、とても楽しめるマンガです。このマンガの最後に渋江内膳の墓が大阪にあると書いてあって、あれっ?と思いました。秋田でも、江戸でもなく、大阪に?後で調べたら、渋江内膳は大坂冬の陣の緒戦である今福の戦いで戦死していたのですね。墓が大阪にあるわけです。
この前NHKで、大坂冬の陣の折に西軍が淀川の堤防を切って大阪城の北部が洪水氾濫していたということをやっていました。そこで、なるほどと思ったのです。今福の戦いがあったあたりは京橋駅から西側の方で、昔ブラタモリでもやっていたのですが、JR線に沿って2~3mぐらい小高くなっています。ここは堤防の跡のようで、この北部が浸水していたのなら、確かに堤防上で戦いがあったのだろうなと。そうでなければ、冬の陣のころは農閑期なのでこの場所より西側の方に北から回り込んで軍を展開できるはず。でも浸水しているなら堤防上を移動するしかない。
『織田信長物語~桶狭間合戦の真実~』という江川達也のマンガがあります。で、この中で、中島砦から東進する信長がとった道も土手道と描かれています。左右は深い田んぼ。なので、この道を通るしかなかった。こういった一本道では大兵が展開できず小兵力の信長が有利になります。マンガでは、そうなるように信長が仕向けたと描かれています。
日本では田んぼというのは結構な障害物で、確か木曾義仲も田んぼに馬の脚を取られて討たれたと書かれていた気がします。多分、あまり有名ではなくとも、こういった微小な地形が勝敗を分けたことがたくさんあったのではないかという気がしました。戦術級のゲームでもこういった点を注意して作る必要があるのかもしれません。